三毛猫と白猫 [其ノ捌]

虫の音が鳴り響く。
もうすっかり秋だ。
青年は、公園の池の前のベンチに腰掛けたまま、動けないでいた。

恋をしていた。
相手は、男だった。
青年は、戸惑った。
遅い、遅い初恋。

或いは今から思えば、これが初恋ではないかというような出会いは、それ以前にもあったかも知れない。
ただ、まさかそんな筈がないだろう、相手が男だなんて、というような思い込みのせいで、自分がゲイである事に気付くのは、それから随分と経ってからの事だった。

ゲイである事を先に父に打ち明ける事は、考えられなかった。
気性が荒く、何が起きるか分からない。
だから母に打ち明けた。
一喝された。
「あなた、長男でしょ!結婚して、子供作りなさい!」
普段は穏やかな母でさえも、この調子だ。
父に打ち明けなくて、良かった。
青年は心からそう思った。

青年は、畜生なのだろうか?
男を好きなだけで?
まさか。
そうは思うも青年、長男なのだ。
責任というものがある。
どうするか。

青年は回らない頭で、今後の己の人生について、考えるのだった。
向かい風が冷たい。
ベンチからようやく腰を上げた青年は、気が乗らない足取りで、自宅へと帰るのだった。

青年は、名を由之と言った。
少し内気な所があって友人は一人だけだが、後は至って普通である。

いつかの夏、由之は虫を捕まえた事があった。
カブトムシだ。
それはもう、大きかった。
自分で買った小さな虫籠に入れて喜び勇んで家に持ち帰る由之。
だが、父が怒った。
後で知った事だが、父は虫が大嫌いなのだ。
「捨てて来い!そうするまで、家には入れん!」
由之は泣きながら、さっき歩いて来た道を、反対に進むのだった。
泣きべそをかいている由之を見て哀れに思ったのか、顔見知りの子が駆け寄って来る。
増太郎だ。
偶然すれ違ったのだが、こんな顔を見せるのは恥ずかしい、そう思って逃げようとした。
すると増太郎、こう言った。
「せっかく心配してるのに。逃げるなんて畜生のする事だょ。」
顔面蒼白とはこの事だ。
でも、仕方ない。
覚悟を決めて、全てを洗いざらい話した。
「アハハ!怖いお父さんだね。」
笑われてしまった。
増太郎のお父さんはさぞかし良いお父さんなのだろうと思うと正直、羨ましいのだった。
「良かったらそのカブトムシ、僕が飼うょ。遊びに来たら、見せてあげる!」
「うん、分かった!ありがとう。」
それ以来、増太郎とはずっと仲が良かった。
しかし今頃になって恋に堕ちるとは、まさか。
あれから何年経つだろうか。
告白しても、玉砕するに決まっている。
そう思うと、ますます気が滅入るのだった。

由之は、思い立って散歩に出掛けた。
こんな時の気分転換には、ちょうどいい。
銀杏並木の綺麗な道を、そぞろ歩く。
天高く浮かぶ雲間から差し込む光が、銀杏の葉を金色に染めて、それは綺麗だった。

と、片隅に白い猫が横たわっていた。
ぐったりして、何だか元気がなさそうだ。
そのままにしておく訳にもいくまい、そう思った由之は、一旦家に連れて帰る事にする。
動物病院に連れて行くにも、お金が必要だからだ。
帰れば貯金があるが、あいにく今は手持ちがないのだ。

帰ってみると玄関先で、ちょうど出掛ける所だった母と出くわした由之。
「あら、飼うの?別にいいけど、協力はしないわよ。」
母からはOKが出た。
この分だと父も大丈夫だろう。
こういった件に関する主導権は、母が握っているので。
協力が得られないというのも、むしろその方がバイトに精が出るというもの。
それもまた良し。

この時、由之は、大学一年生。
恋の相手の増太郎とは、同じ学年、同じ学部。

「なぁ、猫を飼い始めたんだょ。」
「へぇ、お前がか。そういうタイプには見えなかったがな。可愛いのか?」
「うん、見に来るか?喋るぞ。」
「マジか!?噂には聞いていたが、本当に居るとはなぁ、喋る猫。」

遡る事一週間前。
由之が猫を拾った日。
動物病院で即手術、痛い出費だったが仕方ない。
少しの間の入院。
怪我をしていたのだが、命に別条がなくて良かった。
由之は安堵した。
で、後日。
白猫を連れて家に戻り、部屋に着いた所で、その猫がである。
喋り出したのだ。
由之、腰が抜けそうになった。
喋る猫など、都市伝説の中だけの存在だとばかり思っていたからだ。
まさか本当に居るとは。
「こんにちは、私はララ。助けてくれてありがとう。しばらくの間厄介になると思うけれど、いいかしら?」
もちろん由之としてはそのつもりで連れて来た訳で、異存はない。
ララさえ良ければ、ずっと居てくれても構わないと思っている。
「ありがとう!そうさせて頂くわ!お礼はいつか必ずするから、待ってて。」
お礼など、特に必要はなかった。
ララが元気で側に居てさえくれればそれでいい、由之はそう思っていた。
「あら、そうはいかないわ。友達の三毛猫に頼めば、小さな願い事を三つ、叶えてくれるわ。調子が戻ったらテレパシーで連絡を取ってみるから、待っててね。まだ遠方の相手とテレパシー出来る程には、回復していないの。ごめんなさい。」
そういえばこのやり取りも、ララが由之の心を読む事で成り立っていた。
こんな事が両親に知れたら金儲けの道具とするに違いない、由之はそう心配した。
「分かったわ。ご両親の前では喋らないから、安心して。」
ひとまず安心。

そして再び一週間後、いよいよ増太郎が由之の家に遊びに来たのだ。
「ちわーっす。」
「さ、上がって上がって。」
玄関を抜けて階段を上り、由之が自室のドアを大きく開けると、ララが床の上にちんまりと座っていた。
「あら、由之さんのお友達ね。こんにちは、私はララ。仲良くしてね。」
ララ、ウインクを忘れない。
考えてみれば今時、珍しい事だ。
増太郎はララを抱き上げた。
可愛くて仕方ないといった風情だ。
「なぁ、この猫俺にくれよ。」
「嫌だよん。」
「やっぱ駄目かー。でも可愛いな、雌なのな。」
夕方、雲行きが怪しい。
急いで帰ろうとする増太郎に、ララが声を掛ける。
「また会いましょうね!」
増太郎は、黙って頷いた。
飛び切りの、笑顔だった。

ララが由之の元で骨をうずめようとしているのには、訳がある。
黒秘岩の影響で同じ猫と喋れるようになった黒猫のゴンに、ストーキングされているのだ。
人間の飼い主が居ると心強い、ララはそう思ったのだ。
そもそもララは、もう恋をするつもりなどなかった。
昔、ララはトラ猫のシンタと恋に堕ちた。
シンタはトラ猫としては珍しく、猫同士ならば喋れたのだ。
だがシンタは重篤な感染症に罹ってしまい、ララの懸命な看病も虚しく、あっという間に空の星となってしまった。
ララはそれ以来、シンタとの短い思い出を胸に秘め、他のどんな猫にも恋をする事なく生きて来たのだ。
それはララのポリシーであるから、誰にも変えられない。
そんな事など知る由もないゴン、自分がララを守るのだと息巻いている。
ララがゴンから急いで逃げようとして、車にはねられたのだという事も知らずに。

雨の夜。
ざあざあと、音がする。
ゴンは由之の家の軒先で、雨宿り。
そこへやって来たのは、三毛猫に恨みを持つ、不良猫の最後の一匹。
他の不良猫達は、獰猛なせいで皆、保健所送りとなってしまった。
そのきっかけを作ったのが三毛猫だったので、恨んでいるのだ。
白猫は三毛猫と仲が良い。
利用出来ると踏んでいた。
不良猫はゴンに近付く。
「何だ。俺に何か用か。」
ゴンが振り向くと、不良猫は飛び掛かった。
ーー五分後。
ゴンは見るも無残な姿に変わり果てていた。
不良猫は、二階の窓の向こうのララに声を掛ける。
不良猫は知能が発達しており、やはり同じ猫となら会話が出来るのだ。
「よぉ、ララ。俺はお前の味方だ。その証拠に、ゴンを殺してやった。困っていたんだろう?その代わりと言っちゃ何だが、頼みたい事があるんだ。下まで降りて来てくれ。」
この不良猫は単細胞な所があったから、これでララを人質に取れると踏んでいた。
だが、ララは無視を決め込んだ。
不良猫の考える事など、お見通しだったのである。
終いには、あんまりうるさく鳴くものだから、由之の母が箒を持って飛び出して来てしまった。
その剣幕に怯んだ不良猫、たちまち退散である。
しかし、驚いたのは由之の母だ。
惨たらしい猫の死骸が、路上に転がっているのだ。
念の為に、警察に通報する由之の母。
これで不良猫は、ララに近付く事が出来なくなった。

ある夜。
由之は、悪夢にうなされていた。
母が亡くなる夢だった。
「どうしたの、由之さん。辛そうだったわ。大丈夫?」
ララを起こしてしまったようだ。
ララ、心配して由之に声を掛ける。
「大丈夫。顔、洗って来る。」
階段を下りて、一階の洗面へ。
途中、躓きそうになる。
どうもおかしい。
冷たい水で顔を洗う。
少し、しゃきっとした。
その日は、気にしないで眠る事にした。

海岸を散策する、ララと由之。
空が高い。
清々しい秋晴れだ。
ララはゴン亡き後、初めての外出だ。
あれから半月が経った。
もう大丈夫だろうと思って、由之が連れ出した。
揃って暫し、ぼんやり。
と、そこへ、携帯の着信。
聞くと、一大事だった。
由之の母が路上で猫に飛び掛かられて転倒、後頭部強打で重体だというのだ。
犯人は、あの不良猫に違いなかった。
ララは体調がすっかり回復していたから、テレパシーで三毛猫達に知らせた。
あの不良猫を、このまま野放しにしておく訳にはいかない。
何としてでも、捕らえなければ。
しかしララは、自分の力では不良猫を捕らえる事は出来ないとも、悟っていた。
だから三毛猫が無事に捕らえてくれる事を、祈るしかなかった。

ララのSOSを受けて、ミミとモモが動き出した。
千里眼の能力を使って、不良猫の潜伏先を特定する。
やがて駆け出す、ミミとモモ。
途中で同じ三毛猫仲間のルルも合流、不良猫を追い詰める。
「ルル、あなたも来てくれて、増える事百人力よ!」
「気にしないで!三方から追い詰めれば、やっつけられるわ!」

増太郎は思っていた。
この頃、由之の事が気になるのだ。
ゲイだという自覚は、あった。
それどころか、付き合った事のある男の子も、過去には居た。
「恋かな……。」
何故今頃、とは思わないでもなかったが、自分の気持ちには正直な増太郎、今度告白してみよう、そう思うのだった。

ルルは内心では、悲嘆に暮れていた。
ゴンの事を密かに、愛していたのだ。
それだけに、不良猫の事は憎かった。
この手で引き裂いてやる、そう覚悟を決めていた。

霧の中。
一羽の鷹が飛び立った。
ルルの命により動いている。
この鷹、ルルとは契りを交わした仲だ。
今回は、万が一にも不良猫を取り逃がす事のないように、いわば保険としての出陣だ。
ルルは本気だ。
そうなれば、鷹としてもみすみす逃す訳にはいかない。
誓いに賭けても。
こうして不良猫は、一気に追い詰められてゆくのだった。

急転直下。
事態は一気に、動いた。
鷹が路上を走る不良猫を、いち早く発見したのだ。
一瞬の出来事だった。
不良猫は絶命した。
しかし、ルルは腹の虫が治まらない。
鷹に合図を送ると、頭上から不良猫の亡骸が落下した。
一心不乱にそれを貪る、ルル。
「ルルちゃん、止めて!」
「そんな事しないで、お願い!」
ミミとモモが悲鳴を上げる。
だが、吹き出した憎しみのせいで、ルルは身体が勝手に動いてしまう。
結局跡形がなくなるまで、ルルは不良猫の亡骸を貪り続けたのだった。

さて、増太郎は一人っ子だ。
そして、ゲイなのである。
内心ではその事を残念に思っていた両親だったが、増太郎の気持ちを慮って、悪くは言わないようにしていたのだ。
子供を二人作れば良かったのに、という声も聞こえてきそうだが、増太郎は高齢でやっと授かった子供、それ以上は無理だったのである。

増太郎にも、苦しい恋はあった。
中学生の頃、部活の後輩に恋をした。
初恋だった。
告白など考えられなかったが、秘めたままにしておくのも、大層しんどかった。
結果、誰にも言えないまま苦しみ悶える事になるのである。
仕方ない。
今となっては、詮ない話である。

かんかん照りの朝。
増太郎が由之への恋を自覚してから、既に十ヶ月が経とうとしていた。
増太郎は由之への告白を済ませており、今日はデートの日である。

告白の日。
空は澄み渡っていた。
増太郎はというと、いつにも増して気合いが入っていた。
正面に由之を迎えて。
増太郎は、叫んだ。
「俺、お前の事が大好きだ。嫌われたって構わない。でも、もし良かったら俺と付き合って欲しい。必ず幸せにする。だから、な?」
由之は一つ大きく頷いて、増太郎に堪らずに抱き付くのだった。

それから程なくして、ララは由之の家を出て行く事にした。
正直、ゴンの事は嫌いだったが、その最期はあまりに衝撃だった。
だからだろう。
ララは独りになりたかったのである。
自責の念に駆られる事、そして悔やまれる事が多過ぎた。
自分が最初から居なければ、ゴンも死なずに済んだ、それは確かなのだから、そう思うのも仕方なかった。
それに、もう危険なゴンが居ない以上、これ以上由之に迷惑を掛ける訳にもいかなかったのである。

で、入れ替わりでやって来たのが、ルルだった。
ゴン亡き後、放浪生活がしんどくなったのが理由で、由之の元を訪ねた。
ララが居なくなったばかりで寂しかった事もあり、由之は歓待した。
是非とも自分の下で暮らして欲しいと願っていたから、ルルの申し出は渡りに船だったーー。

ーーで、再びとあるかんかん照りの朝。
夏のデートの日。
由之は増太郎と二人で、仲睦まじく幸せだった。
傍らにはルルも一緒。
「お前、前飼ってたの白猫だったよな?あの子はどうした?」
「旅に出たょ、独りで。入れ替わりにやって来たのが、このルルなんだ。」
「へぇ、今度は三毛なんだな。」
「可愛いだろ?あげないよん。」
「ちぇっ。つまんねーの。」
ルルをキャリーケースに入れて、電車に乗る僕達。
大きな公園に遊びに行くのだ。

公園に着くと早速、キャリーケースからルルを出してやる。
と、そこへ通り掛かる一匹の野良猫。
ゴンそっくりの黒猫だ。
ルル、いっぺんに恋に堕ちた。
「私、あの雄の黒猫に声を掛けたいの。近寄って頂けるかしら?」
ルルがそういうので、なるべく警戒されないように少しずつ近付く。
話し掛けても言葉が通じなければ、万事休すだ。
だが、心配は杞憂だった。
何とその黒猫、ゴンの弟だったのだ。
弟とあって、当然猫同士でなら、喋れるのである。
ルルは思い切って声を掛ける。
さりげない告白。
「ねぇ、私と付き合ってみない?」
答えはOK。
傷心のルル、この時を境に徐々に復活してゆく事となる。
黒猫の名前はジン。
「ジンもうちにおいでょ!もし良かったら仲良くしようね!」
そんな由之の言葉に甘えるジン、こうしてルルとジンと由之との共同生活がスタートする事になった。

それから幾つかの季節が過ぎゆき、由之も増太郎も就職の時を迎えていた。
由之は郵便局の職員、増太郎は小学校の教員。
仕事柄もあって、ゲイである事は二人共職場では明かしにくいのだが、絆は強いものがある。
ルルは時々願い事を叶える旅に出るのだが、ジンの事があるので、必ず度々戻って来る。
世間体の事もあるので由之と増太郎は一緒には住めなかったが、ごく近所に二人共に住んでいるのだ。
互いの部屋を行き来する毎日。
ルルとジンは普段、由之が預かっている。
仲睦まじい二匹を見ていると、頰が自然と緩む。

ルルの心の傷は、こうして無事に癒えた。
これから先もきっと、皆で仲良くやっていけるだろう。
そう信じられるから、皆それぞれに幸せだった。
未来は明るい、きっとそうに違いない。
皆にとってそれが真実だから、きっとそうだから、共に居られて本当に良かった、それが皆の偽らざる心境だった。
ミミやモモとも仲が良い皆。
どんな困難だって、皆でかかれば乗り越えてゆけるーー。

動き出した二人の運命は、こうして猫達が加速してゆくのだった。

-完-

三毛猫第八弾。
苦心してどうにか書き上げました。
このシリーズは、うちのサイトの作品群の中でも、割と中核に位置しています。
ですので、書くのは慎重にならざるを得ない訳です。
またいつか書ければいいな、そんな風に思っていたりします。
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