Bloomin’ Flowers VI : シクラメンに誘われて

美しい人を見た。
外見が、ではない。
身に纏った凛とした空気感が、美しいのだ。
黒いロングコートの裾が、風を受けて広がる。
彼は静かにそっと、口を開いた。
静寂のひと時。
その溜め息は、冬の青空に溶け込んで、僕の目を捉えて放さなかった。

僕は、恋をしていた。
年上の、まだ若い男の人。
通っている高校の、美術の先生だ。
太っていた。
笑顔が、可愛らしかった。
ある日冬空の下でその人をたまたま見ていて、そのえも言われぬ美しさに一目惚れをしたのだった。
それが僕の、初恋だったーー。

僕は常に孤独を感じていた。
当時両親には、カミングアウトは出来ていなかった。
このまま死ぬまで秘密にしておこうと、この時は思っていた。
友達は、要らなかった。
小学生の頃には、居たのだ。
初めは、仲が良かった。
だが、いじめっ子の転校生が同じクラスになると、その子はいじめっ子の子分となって僕をいじめるようになった。
裏切られた、そんな気持ちでいっぱいだった。
結局僕は中学校卒業までの長い間、その連中にいじめられ続けた。
最初は穏やかだった。
せいぜい口で罵倒する位だったからだ。
その内に段々とエスカレートしていって、個室で用を足している最中に、頭上の隙間からホースで水をかけられたりするようになった。
小便器で用を足していても、後ろから引き剥がされて、丸見えになった。
それ以来、学校のトイレが使えなくなって、漏らす事もしばしばだった。
それからの僕は度々、笑い者となった。
そしてついに暴行である。
それは、中学に進学した時から始まった。
僕は、黙って耐えた。
ここで折れたら負けだと、そう思っていた。
誰も、助けてはくれなかった。
味方は、居なかった。
親でさえ、学校に行くのを渋ると、家から叩き出すばかり。
人は所詮、孤独な生き物。
良くも悪くも自由で、独りで生きてゆくしかないーー僕はその頃から、そう思っていたのだ。

小学生の時分。
母にこう言われた。
「あなたは鈍臭いから、公務員か研究者にしかなれないの。一般企業は厳しいから、あなたの居場所なんてないわよ。」
当時は額面通りに受け取っていたこの言葉。
実は違うのだ。
それは親の願望だったのだ。
公務員か研究者になって欲しいという。
そんなに期待された所で、トンビは鷹を生まないのだ。
残念な事だ。

高校に入学して、環境が激変した。
友達はすぐには出来なかったが、ノートの貸し借り位はさせてもらえたし、いじめはピタッとなくなった。
人間、辛抱してみるものである。
こんな事になるとは、まさか。

部活に入った。
うちの高校では帰宅部というのは禁止だったから、仕方なくだ。
一番活動実態のない美術部に入部。
丸っこい体型だったので相撲や柔道に誘われたけれど、あまり気が向かなかったのだ。
体力はあるのだが。
気が弱いので、どうもね。
入部して、最初の日。
引き戸を開けて教室に入ると、のちの初恋の人が教卓の前に陣取っていた。
椅子に座る。
この時はまだ、意識はしていなかった。
ろくに顔も見ていなかったのだから、当然だろう。
自己紹介をして、簡単なデッサン。
実は密かに漫画家志望だったので、ちょろいちょろい。
と、いつの間にか先生が背後に立っている。
「上手いね。出来上がったらそれ、教室に飾っていい?」
「はい、ありがとうございます!」
それだけのやり取りだったが、内心ではとても嬉しかった。

美術部の活動はゆるいから良い。
それからも時々顔を出しては、仲間に教えたりしていた。
そんな中で出来た友達が、恵斗だった。
友達なんて要らないと、心底から思っていた。
だが、あまりの熱心さに押されて、もう一度、もう一度だけ、人を信じてみよう、そう思った。
夏の初めの事だ。
「お前ほんっと、絵上手いよなー!」
恵斗があまりに大袈裟に言うので、ちょっとこそばゆい。
「そんな事ないょ。もっと上手い人はたくさん居るょ。あと、こう見えても漫画家志望だし。親は公務員か研究者にしたがってるみたいだけど。でもそんなのは、真っ平御免だから、仕方ないね。」
「公務員は激務だっていうし、お前は研究者って感じでもないもんな。だいたいそんなのは、俺だって真っ平御免だ。俺は小説家志望なんでな。でもさ、漫画家志望だなんて言ったら、ご両親沸騰すんじゃねぇか?大丈夫なのか?うちは平気だったけど。」
恵斗は僕と同じ位の成績。
学年で、中の上。
そんな訳で僕は、両親から尻を叩かれている。
もっと勉強しろ、という事だ。
でも正直、今が限界だ。
やはりトンビは鷹を生まないのだ。
これはなかなか、上手い事を言ったものである。
で、返答は。
「まぁ、沸騰するだろうね。逃げるしか。」
とまぁ、こんな感じ。
二人して笑うのだった。

季節は流れ、十二月。
休みを利用して、日帰りの写生旅行に出掛ける事になった。
最初、両親には反対されたが、押し切って強引に参加する事にした。
両親としては、そんな暇があるなら勉強しろ、という事のようだった。
『勉強なんて大っ嫌いだし。あの人達、何にも分かってない!』
僕は心の中で毒づいた。

場所は、ごつごつした岩場のある、吹きっさらしの海岸。
まずもって、寒い。
しかも押し寄せる波や岩など、難しい題材ばかりだ。
気合いを入れねば。

ふと見上げると、まだ若い先生が高そうなロングコートに身を包んでいる事に気が付く。
頭には、多分ボルサリーノ。
そんなお金、何処から出て来るのかな?
いつも疑問に思っていた事。
先生、お洒落なのだーー。

美しい人を見た。
外見が、ではない。
身に纏った凛とした空気感が、美しいのだ。
黒いロングコートの裾が、風を受けて広がる。
彼は静かにそっと、口を開いた。
静寂のひと時。
その溜め息は、冬の青空に溶け込んで、僕の目を捉えて放さなかった。

恋に堕ちた、まさにこの時が、その瞬間だった。
動悸がする。
目を離せない。
「どうしたんだょ。まさかあのボンボン先生に恋したとか?」
「・・・・・・」
「まじか!」
何も言えなかった。
言葉を、紡げなかった。
痛恨だった。
目の前には恵斗の、暗くじめじめとした表情。
後で知った事だが、恵斗はこの時から既に、僕に恋をしていたのだ。

「これはいけない!」
そう呟いて僕は、写生に集中する事にした。
しかし視線はどうしても先生の方に向かってしまう。
結局、先生を含めた絵を描く事で折り合いを付けた。
終わった後僕の絵を見て、先生が。
「相変わらず上手いね。でもちょっと恥ずかしいな。」
そう言って頭を掻いていた。

叶わぬ恋だと知った。
先生には、許嫁が居た。
恵斗の知り合いからの情報だったが、実は裏が取れていた。

二階にある自室の出窓に、随分と前からシクラメンが飾ってある。
このシクラメン、喋るのだ。
精が宿っているらしい。
精の力で、年中花が咲いている。
ある意味、気味が悪い。
写生旅行から帰るなり、その精が言うのだ。
「あの美術の先生は学校の理事長の孫で、将来の校長候補。許嫁も居るから、恋に堕ちても悲しいだけだょ。」
僕はただひたすら、嗚咽を漏らすしかなかった。

写生旅行前日の夜。
父と母はテレビを観ていた。
いかにもトンビらしい時間の過ごし方だ。
テレビには、おねぇ系のタレントさんが映っていた。
それを観ながら、父は言う。
「面白いなぁ。おねぇっていうのも一つの才能だな。でもうちには要らないんだよなぁ。」
母も一言。
「ホモとかオカマとか、うちにはねぇ。アハハハハ!」
高笑いをしていた。
その夜、悔しくて眠れなくて、結局ずっと勉強をしていた。
少しは気が紛れるかと思ったのだ。

シクラメンは言う。
「恵斗に告白してみたら?恵斗も入学直後から君の事を好きでいるみたいだし、今だったら上手くいくかもょ。」
確かに恵斗も可愛い。
タイプだ。
しかし、そんなに簡単に気持ちが移ろう筈もなく、僕はただ頭を抱えるのみだったのだ。

季節は過ぎゆき、高二の冬。
先生に恋してから、一年が経とうとしていた。
僕は校内で、恵斗を探していた。
遂に告白する決意を固めたのだ。
気持ちの整理が、ようやっとついたという訳だ。
シクラメンからは、もう遅いかもょ、と言われていた。
それでも構わない。
正面からぶつかってやるんだーー。
探し回っている内に、普段誰も近付かない倉庫が目に留まった。
人の声がする。
そうっと忍び寄って覗いてみると、恵斗に顔も知らない男の子が、組み敷かれていた。
涙が止まらない。
その日から、僕は恵斗を意識的に避けるようになった。
恵斗は恵斗で、新しい恋人に夢中な様子。
僕達の友情は、終わりを告げた。

それから二年。
卒業したらお見合いをする事を条件に、僕は地元の国立大学へと進学していた。
実の所、その約束は反故にするつもりだった。
コネでとある企業の研究所に就職出来るかもしれないから頑張れと、息巻く両親。
正直、迷惑だった。
僕は漫画家になるーーその決意に揺らぎは一切なかったからだ。

ある日の夜。
いつまで経っても枯れない元気なシクラメンが僕に、耳の痛い事を告げた。
「あのね、絵が上手いだけじゃ漫画家にはなれないの。ちょっと才能不足。かといって、君自身が思っている通り、君は結婚にも研究所勤めにも向いてない。職人を目指すといいょ。大工さんなんてどう?体力も空間認識能力もあるし、手先も器用だから向いている筈だょ。」
頭に来た。
シクラメンの植わった鉢を持ち上げて、放り投げようとする。
するとシクラメン、透明な涙のような液体を滴らせながら、震えた声で「いいょ」と言うのだった。
僕は冷静になった。
「ごめんね」それだけ言って鉢を元に戻した。
シクラメンは頑張れ、頑張れと励ましてくれた。

恵斗とはあれ以来連絡を取っていない。
大学も違うので、会う機会もない。
大学の漫画研究会では友達も出来たが、浅い付き合いだ。
これまで意地になってはいたが、やはり僕の漫画は、研究会の皆からも評価は高くない。
詰んだ日常。

休日。
部屋でごろごろする。
やはり大工になるべきなのか。
思えば、シクラメンの助言は、常に当たっていた。
そのシクラメンが言う。
びっくりした。
「高校の頃の美術の先生、許嫁と結婚したくなくて、学校を辞めたらしい。大学を退学して家を出る覚悟があるなら、今なら結ばれるかもょ。その気があるなら、急いで!」
僕はシクラメンから彼の居場所を聞くと、大急ぎで支度をして、電車に飛び乗った。

三十分後ーー目的の駅に電車が滑り込む。
改札を抜け、近くの公園に向かうと、彼がベンチに座っていた。
僕は彼の前に佇む。
下を向いた彼が顔を上げて、あぁ君か、と声を漏らすのと同時に僕は告白をする。
「ずっと好きでした。僕とお付き合いしてください!」
頭を深々と下げる僕。
その直後、僕達の関係は、呆気ない程に簡単な一言でスタートするのだった。

「いいょ。」

僕が驚きで固まっていると、すっと手が出て来た。
「行こう。」
そう言われて、僕は彼と手を繋ぐ。

僕達は一時的にウイークリーマンションに住む事となった。
無職となった僕達が住むのにはうってつけなのだ。
お金は、彼の貯金がある。
学校は私立なので、一応雇用保険もあるようだ。
そうは言っても、僕も早く仕事を見つけねば。
彼も焦っているようだ。

後日。
一旦、実家に帰る僕。
荷物を取りに行く為だ。
彼も付いて来たかったようだが、僕が断った。
不測の事態を考えての事だ。
自分の親とはいえ、僕はあの人達の事をそこまで信用している訳ではないーー。

鍵を開ける。
するといきなり、母と鉢合わせになった。
「今まで何処へ行ってたの!」
怒気を含んだ声が響く。
僕に迷いはなかった。
「僕、大工になる。好きな男の人がいるので、その人と一緒に住む。今までありがとう。」
これに母は、一言だけ吐き捨てた。
「馬鹿ね、あんた。」

休日なので、父も居た。
大学を退学して大工になる事を改めて告げると、思ったよりも冷静な、しかし冷たい一言が放たれた。
「好きにしろ。ただし、もう戻って来るなよ。」
この時、僕は泣きたかった。
でも、踏ん張った。
この先、辛い事は幾らでもあるのだ。
その度に泣いていては、きりがないーー。

最小限の荷物だけをトランクに詰め込んで、シクラメンの入った袋を空いた手に下げて、僕は歩き出す。
振り返る事はしない。
ここはもう、僕の居場所ではないのだ。

その日の夕食。
カップ麺である。
二人して、無言で啜る。
侘しい宴。
と、ここで彼が言う。
「お互い仕事が見つかったら、すき焼きやろうね。」
「うん!」
急に元気が出て来た僕。
そこへシクラメンのアドバイス。
「先生は外国語教室の講師になるといいょ。すぐに仕事が見つかるょ。」
これで決まった。
彼、英語と仏語、それに日本語のトリリンガルなのだ。
明日からは職探しだ。
シクラメンのアドバイスは当たるから、仕事が見つかるのは早いだろう。
今夜はとりあえず、おやすみなさい。

初体験も終えて、翌朝。
どこか清々しい。
横には、愛すべき人の可愛らしい寝顔。
頰を突っついてみる。
「んぁ……あともう少し。まだ眠いょ。むにゃむにゃ。」
今朝の朝食も、カップ麺。
身体に悪いので、今夜辺りから自炊しようか。

昨夜のピロートークで。
僕の事を好きだったという、彼の驚きの告白があった。
昔からずっと、年下の太った男の人ばかりを好きになる自分が居て、嫌になっていたらしい。
家を飛び出した時は、まさに修羅場だったそうだ。
家が保守的だと、みんな悩むね。
仕方ない。
そうした事も含めて、自由なのだから。
そして、僕達ゲイは自由な世の中でしか生きられない。
何かあったら飛び出す勇気と覚悟の一つもなければ、情けないではないかーー。

半月後ーー。
僕達は揃って、仕事を見つける事が出来た。
僕は近くの小さな工務店。
彼は大手外国語教室チェーン。
という訳で、すき焼きである。
「二人共良かったねー。」
シクラメンの嬉しそうな声、僕達も嬉しくなる。
「まずは良かった、という事で、ね。かんぱーい!」
「かんぱーい!」
僕はまだ未成年なので、ジュースで乾杯だ。
「もう少しでお酒飲めるね、一緒に飲もうね。」
彼がそう言うので、大きく頷いた僕。
幸せいっぱいだ。

それからしばらくして、僕達は引っ越した。
今まで住んでいたウイークリーマンションがワンルームだったから、だいぶ広くなる。
彼の名義で借りるのだ。
部屋探しは難航したが、その甲斐あって良い部屋だ。
彼の仕事は至って順調。
僕の方も、初めは厳ついお兄さん達が怖かったものの、慣れて来ると良い人達で助かった。
親方には素質があると褒められて、嬉しい気分。

ある時本屋で、二人して新刊を物色していると。
たまたま手に取った一冊の本の著者名を見て、僕は声を上げた。
恵斗なのだ。
小説家になっていたのだ。
あとがきをぱらぱらとめくってはみたが、ゲイだとは何処にも書いていない。
写真は間違いなく恵斗だから、クローズにしているという事だろう。
迷惑が掛かるといけないから、連絡は取らない事にした。
本はもちろん、購入。
まだ初々しいが、なかなか面白い。
先が楽しみな作家だ。

翌年のお正月。
帰る実家もない二人、仲睦まじく二人で過ごす。
二人共料理は一応作れるが、あまり得意ではない。
なのでおせち料理は、コンビニで申し込んだもので済ませた。
栗きんとんだけは、別途買い増し。
二人共、大好物なのだ。
テレビの特番を観ながら、炬燵を囲んでほっこりとしたひと時。
幸せ也。

こうして僕達二人は、二人三脚での共同生活を始める事となった。
これからも手を取り合って、仲良くやれるだろう。
シクラメンも、しぶとく元気だ。
もう何年になるだろう?
不思議なものだが、まだまだ頑張って欲しいものだ。
そういえばシクラメン、育て方を間違えなければ、長生きなのだった。
そもそも精の力のお陰で、枯れる気配もない。
「僕はもうお爺ちゃんだょ。げほげほ。」
なんてやっているけれど、綺麗な花が咲いている。
まだ行ける。
大丈夫。
そんな訳で、皆でもっと幸せになろう、そう誓って、この話の〆とする。
頑張る!

シクラメンの台詞がお気に入り。
前半は出て来ないのですがね。
もっと出番を増やしてやりたかったとも思うのですが、なかなか難しいのです。
ストーリーは、僕の定番とも言える流れ。
ある意味では、スタンダードな作品になったと思っています。
またアップしてから何度も修正を加えてしまいました。
これで打ち止めです。
ご迷惑をお掛けしてしまい、誠に申し訳ありません。
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