月曜日のエレジー

野良猫が街を往く。
真冬の朝。
今朝は特に冷え込んでいる。
今日は月曜日。
毎週、この時はいつも二人揃って無言だ。

「今日は、こっち。」
僕の彼の出社ルートは二つある。
今日はハズレ。
このルートだと、少ししか一緒に居られない。
終始、無言。
「じゃ。」
それだけ、たったそれだけの一言を残して、彼は僕の元を去って行った。
これから土曜日まで、長い長い一週間が始まる。
また逢えるかどうか、いつも不安だ。
いつ離れ離れになってもおかしくない、そんな関係性。
僕は学生だ。
気楽なものだと、人は言う。
だが僕は、心の中ではいつも苦闘していた。
出来る事ならいつまでも彼に溺れていたい。
そう思うのだが、現実はそれを許さない。
シビアだ。
恋愛依存体質なのかも知れない。
我ながら、困ったものである。

彼は二股をかけていた。
それは知っている。
はじめの内はショックだったが、じきに慣れた。
だいたい、僕の恋愛は大抵そんなだ。
かといって、こちらが二股をかければ、皆離れて行ってしまうだろう。
確証はないが、そんな気がする。
常に相手が優位に立っているのだ。
これが、惚れた者の弱みというやつか。
仕方ない。

ある週末。
約束を反故にされてしまった。
今週も、来週も逢えないと、彼は言う。
それを聞いて一瞬、眩暈がした。
一体、どれだけ逢えないというのだろう。
途方もない二週間が、これから始まるのだ。
その夜、ストーンズを爆音で鳴らしながら、枕に顔をうずめて、僕は泣いた。

妬ましい。
心が疼く、そんな感じ。

昔、似たような事があった。
相手は当時の僕の彼氏だった訳だが。
前日の夜になってデートの予定がキャンセルとなった。
なんでも、友達が困っているとか。
嘘だった事には気付いていながらも、涙を飲んだのだった。

大抵、そういう恋愛は長続きしない。
当時の彼の時も、そうだった。
だが、今回は違う。
出逢ってもう、四年になるのだ。
よくまぁ辛抱しているというか、されているというか。

行ってみようか、彼の元に。
耳元で、悪魔が囁いた。
だが、アポイントメントなしで彼の元に往けば、僕達の関係はそれで終わってしまう。
「うがぁ!」
思わず手に持っていた携帯を、叩き壊した。
これで、新しい携帯を買わねばならなくなった。
痛い出費。
自業自得だ。
自分で自分の首を絞めているのだから、世話がない。

翌日、キャリアのお店で機種変更の手続きをする。
ちょうど新しいiPhoneが出回りだしたタイミングだったようで、運がいいのか悪いのか。
iPhoneには前から興味はあったのだ。
悪運が強い、とでも言うべきか、自分。

帰りに、何もない所で転んだ。
奇跡的に、手に持っていたiPhoneは無事だった。
それは良いのだが、左手中指の骨が折れたらしい。
ここでも、折れたのが利き手の方ではないという。
やはり自分、悪運は強いんだな。

iPhoneのお陰で、案外あっさりと二週間が過ぎた。
良い事ばかりでもない。
音楽ライブラリ関連のトラブルで、どつぼに嵌まったのだ。
試行錯誤を繰り返している内に、二週間の半分は過ぎていた、という訳だ。
右も左も分からないiPhone。
ただ一つ言えるのは、何から何まで隅から隅まで美しい、という事。
それに尽きる。
あまりに繊細で綺麗なものだから、ぎりぎりの所で踏み止まれるのだ。
『壊さないで!』
何かそう、iPhoneが語り掛けているようで、可哀想で壊せないのだ。
べらぼうに高い端末の値段も、輪を掛けて壊すのを踏み止まらせた。
いい事ばかりが続かないのは無論のことだが、悪い事ばかりも続かないのだ。

今の彼氏。
昔は自宅近くの駐車場まで送り迎えしてくれた。
思えば、あの頃が一番幸せだったのかも知れない。
そもそも付き合いはじめは、見知らぬ街の待ち合わせ場所で、右も左も分からずに、右往左往していたっけ。
逢っても、緊張してろくに話す事も出来なかった。
以前の彼氏はことごとく僕にため口を要求したが、僕にとってそれはとてもハードルの高い事だった。
何故なら、僕がこれまでお付き合いさせて頂いていた男性は、ことごとく年上だったからだ。
今の彼が初めて、年上なのに僕にため口を要求して来なかった。
個性がようやっと認められた気がして、それはもう、嬉しかった。

昔話でもしようか。
僕は小学校二年生になるまで、実の両親の元で虐待を受けながら過ごしていた。
毎日、殴る蹴るは当たり前。
学校の教師も親戚も誰も助けてくれる者はおらず、孤軍奮闘を強いられた。
学校でも、体育倉庫の中で着ていた服をひん剥かれて、全裸の状態で写真を撮られながら暴行を受け続けた。

小学校一年生の時には、担任の意向で身体測定にすら参加させてもらえなかった。
二年生になって担任が変わり、その直後に初めて測定を受けさせてもらえたのだが。
その際にようやく、事態が明るみになったのだ。
そのお陰で両親は逮捕、いじめっ子の両親達からも賠償を勝ち取る事が出来たようだ。
賠償金は、今の義理の両親が受け取った。
親権が移ったからである。
実の両親は警察の取り調べで、「いじめられるのにも虐待を受けるのにも、理由がある。悪いのはあの子だ。」と答えていたらしい。
どこまでも闇は深い。
いじめや虐待に理由なんて、必要ないのだ。

新しい両親は優しかった。
だが、僕が引きこもろうとするのは、許さなかった。
「誰か新しい友達でも出来れば良いんだがな。」
義理の父は苦々しい表情でそう言うと、グラスに注がれたブランデーの残りを、一口で飲み干した。
「お代わりは要ります?」
「ん、頼む。すまんな。明日からも学校、ちゃんと行かせるんだぞ。」
子供には入り込めない夫婦のやり取り。
これだけで僕の命運が決まってしまう事には内心では正直腹を立ててはいたが、僕はこの家では穀潰しのような存在だったから、何も言う資格は当然、ないのだった。

新しい両親は僕の遠縁にあたる人達だ。
義理の母は僕の身体中に刻み込まれた痣や裂傷を見て、泣いてくれた。
義理の父もガッチリと抱き締めてくれたのである。
その時から僕は、様々な人達に守られている事に、想いを馳せるようになった。

小学校では二年生以降の担任は誰もが、僕の味方をしてくれる優しい人達だった。
彼らの尽力もあって、小学校三年生の時に生まれて初めての友達が出来た。
浩平だ。
浩平は裕福な家に生まれ育ったからか、おっとりした所がある。
だからか、鈍臭い僕とは気が合ったのだ。
浩平の家には、よく遊びに行った。
そこはいつ行ってもお洒落で、僕は憧れた。
僕には元々、恋愛依存体質ならぬ友達依存体質とでもいうべき性質が備わっていた。
友達なのに、いちいち嫉妬をする。
恋などしていないのにである。

浩平の父が居る日は、浩平の一家と一緒に車で出掛けたりもした。
その車が外車で、しかも4シーター・クーペだったりするのがまた、なんとも羨ましく妬ましかった訳である。
強いて言えば、生活感のない一家に恋をしていたというような、そんな感じ。
だから、浩平が「遊ぼう」と言えば、先約があろうともそれを断って浩平と遊ぶのである。
そんな事をしている内に僕の周りからは人がどんどん離れてゆき、最終的には浩平からも見放されて、独りぼっちになった。
自業自得には違いないのだが、とにかくひたすら、悲しかった。

それでも、である。
もはや友達ですらない浩平が、僕を取り巻くいじめっ子達を追い払ってくれたのだ。
追い払う方にもリスクはある訳で、勇気のある尊敬すべき行動だったと思う。
それからは再び浩平とは口も利かなくなったが、内心では感謝していた。
やがて僕は透明になり、誰の視界にも入らない存在となった。
そして今に至るーー。

月曜日は僕にとっては、鬼門であった。
月曜日の夜に呼び出されて別れよう、という話になった事が、これまでに三度もあったのだ。
だから月曜日の夜にメッセージが来ると、思わず身構えてしまう。
恐る恐る中身を読んで、当たり障りのない内容だと、それだけで小躍りしたものだ。

閑話休題。

今付き合っている彼、智が事故に遭った。
スピード超過の車に轢かれたのだ。
奇跡的に助かった、との事で。
まずは見舞いに行く。
智、塞ぎ込んでいた。
それもそのはず。
両足切断の大事故だったのだ。
これから、先の長い車椅子生活が始まる。
そんなの、誰だって悲しい。
「もう、来なくていいぞ。」
三度目の見舞いで。
これまで終始無言だった智。
ぼそりと、一言、呟いた。
だが、ここで引き下がる訳にはいかない。
彼の目に留まる、不謹慎ながらこれがチャンスなのだ。
「大丈夫だよ!二人居れば、何とかなる。」
智はこちらの方を見ようともせずに、「お前に何が出来る」そう吐き捨てたのだった。

こうなれば意地だ。
僕は毎日智の病室に押し掛けては、林檎の皮を剥いて、食べさせてあげるのだった。
最初は無視されていた。
だが、八回目の来訪で、様子が変わった。
変わったのは智だけではない。
僕も変わったのだ。
最近、智ともため口で話せるようになった。
事故が転機となった、それは間違いない。
「両親が離婚した。父曰く、俺の面倒など見きれん、という事らしい。」
智の家は開業医だ。
外科ではないので、今回の事故は専門外な訳だが。
まぁ智の父にしてみれば、額の大小は多少はあれど、結局自分が養育費を出す事になるのだから、どうせなら自由になりたかった、そんな所だろう。
「母さん、泣いていた。ここには多分もう、来ない。父さんから家を追われたのを機に、仕事が忙しいらしい。養育費、大した額じゃなかったみたいだ。父さんらしいよ、ほんと。ケチな所とかさ。」
奥さんの事、どうやって黙らせたのだろう、個人的にはそちらの方が気がかりではあるが。
そんな事を考えていると、智が。
「ハニートラップみたいな。母は俺にべったりだったから、ショックが大きくてね。
元々父さんは母さんには飽きていたみたいだから、頼もしい男を送り込んで関係を持たせて、その時の写真を元にゆすったみたい。僅かな養育費も、温情だって恩着せがましく言ってたらしい。何もしなかったせいで死なれたら、父さんの評判も落ちるからな。最低だろ?」
久々に見た智の笑みは、どこか斜に構えたような、そんな笑みだった。

この時僕は、決意を固めた。
大学を出たら就職をして、智を引き取ろうと。
中退しても良かったのだが、ここまで育ててくれた義理の両親を裏切りたくはない。
それでなくても、義理の父のコネクションを使って就職するのだ。
それをフイにするような事など、出来はしない。
僕が就職する会社は、大卒以上でないと入社出来ないのだ。
僕が通っていたのは三流の大学だから、こうでもしないとなかなか就職の口はない。智と二人で暮らすのにも、金は要るのだ。
だからこれは、仕方のない事なのだ。
僕は本当に恵まれていた、確かにそう思う。
コネクションを使って就職が出来るなんて、そんな上手い話は滅多にないからだ。

退院後も、智は自室に引きこもって生活しているらしい。
仕事は、なくなった。
会社としても、やむを得なかったのだろう。
両足のない人間に出来る仕事など、智の勤めていた会社にはなかったのだ。

告白。
智が母と住む小さな家で。
「ずっと一緒に居よう。共に暮らそう。仕事ならあるよ、僕にも、智にも。」
僕が勤める事になった会社には、莫大な数の書類や文献の整理・分類・補修などの仕事がある。
ちょうどタイミング良く前任の女性が寿退社したので、空席となっていたのだ。
目の前の智の瞳はまだ、半信半疑といった所だ。
だからここで、僕の義理の父の登場となる訳だ。
ここで智が口を開く。
その内容に、僕は軽いショックを受けた。
「俺にとってはお前は彼氏なんかじゃなかった。ただ、友達も彼氏もいなくて可哀想だったのと、一緒にいる時は楽しかったからというのと、そんな理由でつるんでいただけだ。もう来なくていいから、帰ってくれ!」
僕の目からほろほろと、涙がこぼれ落ちた。
その時だった。
僕の義理の父が口を開いた。
「まだ付き合っていないというなら、これからそうすればいい。私も応援する。悪いようにはしない。きっと楽しいぞ。それでも確かに、幸せになれるかどうか、それはまだ分からない。それは君が決める事だ!さぁ、どうする?」
圧に押された、それだけの事ではなかったと、そう思いたい。
僕も智も、ノースポールの鉢植えの置いてある小さな出窓が印象的な六畳の小部屋で、ただひたすらに啜り泣くのだった。

それからの智は、良く笑うようになった。
つられて僕まで、笑みが溢れる。
僕の義理の父は、智の移動の為にと、車椅子のままで乗れる福祉車両をプレゼントしてくれた。
嘘みたいな本当の話だ。
僕と智、職場は同じ。
だから運転は、僕の担当。
愛と期待のこもった車。
大切に、大切にしなければ。

この頃智は、本を読む。
新居での話なのだが、思想書や哲学書など、相当にお堅い本もある。
試しに一冊パラパラとめくってはみたのだが、全く意味が分からなくて、五秒で閉じた。
もう読む事はあるまい。
どうも脚を失くした辺りから、本における好みのジャンルが変わったらしい。
僕は隣でコミックスを読む。
何冊かをテーブルの上に積んでおいて、続きを取りに行く手間を省こうというのだ。
「横着だな。」
確かに。
自分でもそう思う。

不意に。
「浮気するなよ。」
二股をかけていたこいつにだけは、絶対に言われたくない言葉だ。
「そっちこそどうなのさ。」
で、自分でも珍しく頬を膨らましてみた訳なのだが。
「どうやって?面白い事を言うな、お前。」
それもそうだと合点がいき、二人揃って笑うのだった。

六年前。
智にも忘れ難き恋の相手が居たらしい。
尽くした挙句に、振られてしまったのだとか。
今、智に貯金がないのも、その時に使い果たしていたからなのだ。
それからはストレス解消と称して、ちょっとした通販にSEXにと、勤しんでいたという訳だ。

さて、という事は。
智を連れて、早速HIVと性病の検査だ。
二人揃って受けるのである。
僕は問題ないのだ。
分かっている。
一方で。
まさかね、とは思っていたが、性に奔放な智の事だけに、以前から見ていて心配だったのだ。
で、気軽な気持ちで検査会場に入った僕達だったのだがーー。

智、結果はなんと陽性、HIVのである。
智の顔は真っ青だったが、まだ発症前だと聞いて、僕は少し安心した。
今はいいお薬があるから、早期発見すれば結構生きられるのである。
それにしてもだ。
お医者さんの前で。
「俺のハッピーSEXライフがー!」などと叫び出すのは、本気でやめて欲しかった。
恥ずかしくてもう、顔から火が出そうだったのである。
まぁ、その昔小遣い稼ぎにと売り専にまで手を染めていたのだそうだから、これ位は仕方ない、そういう事にしておこう。

中学三年三学期の、月曜日。
僕は二郎という子に、告白をした。
校舎の片隅に呼び出して、好きだと告げた。
結果は轟沈。
大笑いされた挙句、その話は全校中の笑いの種となっていった。
まぁ良かったのだ。
自分としては想いを告げずに卒業をするのも辛かった訳であるし、失敗に終わってもどうせ卒業でみんな離れ離れになるから、都合が良かったのだ。
旅の恥はかき捨て、みたいな。
それにしてもこの時も月曜日だったのね。
因縁深いなぁ。

ある日曜日、銀座の目抜き通り。
僕と智は時折手なんて繋ぎながら、車椅子で闊歩してみる。
途中、Apple 銀座に立ち寄って、店内を散策。
成り行きでiMacを購入するのだった。
ボーナスが出たから、まぁいいのだ。
人間、辛抱してみるものである。
あの時勢いで大学を辞めていたら、こうは上手くは行かなかった。

重たい箱を持ちながら、こう言ってみる。
「僕のこと好き?」
「いんや、愛してる。」
「月曜日でも?」
「なんだそりゃ!?」
二人して、笑った。

これから先、どうなるかなんて誰にも分からない。
それでも、二人で幸せだった記憶なら、きっと、ちゃんと残せているから、大丈夫。
月曜日のエレジーは、もう歌わなくて済みそうだね。

-完-

自分にしては珍しい雰囲気のタイトル。
中身も、自分なりには頑張ってみました。
楽しんで頂けると良いのですが。
コネクションを使って就職というのは早々ある話ではありませんが、話の展開の都合上、ここでは持ち出してみました。
気楽にお読み頂けますと、幸いです。
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