最後の審判 後編 [EDITED archives]

海松色の日常 - 最後の審判 後編

本編はごく軽い修正程度ですが、エピローグには少し手を入れてあります。
あえて前編からではなく後編から手を入れたのには理由がありますが、思い入れがあるからでしょうか。
思いの外手こずりました。
大して変わっている訳でもないのに。
とはいえ、気軽に楽しんで頂けますと、とても嬉しく思います。
よろしくお願い申し上げます。

*****

あれから毎晩、夢の中で春希くんと逢っていた。
寂しかったのかもしれない。
夢の中では、楽しかった。
たとえそれが幻影でも、構わなかった。

それでも。
それでも。
理屈じゃない。
説明出来ない。
おれはただ、何としてでも、あの人に逢いたかった。
おれはあの人からの五年ぶりのメールを、ただ、泣かずにじっと見つめていた。

「みる、元気だったか?
お前が変わらず元気でやっている事を、俺はいつでも望んでいた。
五年前、最後の夜に見せたお前の顔を、俺は今でも忘れない。
あの時、俺はお前ではなく、家庭を持つ事を選んだ。
俺の事を信じてくれたお前を裏切り、深く傷付けてしまった。

俺は今日、離婚する事にした。
俺はこれからは、自分の気持ちに正直に生きる事にする。
この事を俺は、真っ先にお前に伝えようと思う。
俺はどうしようもない男だが、会って伝えたい事がある。
だから俺にもう一度、お前の顔を見せて欲しい。
明日の夜、お前と初めて出会った楓の木の下で、もう一度会いたい。
いつでも、お前の都合のいい時間に来てくれればいい。
待ってるからな!」

待ち合わせの詳しい場所も、時間も書いていないメール。
差出人欄には、見覚えのないアドレス。
だけどおれには分かる。
胸が熱くなる。

おれはあの人と、この五年間ずっと、音信不通だった。
おれがまだあの人と付き合っていた頃、パソコンを使わないあの人との唯一の連絡手段が、携帯だった。
別れてすぐに、メールも電話もSNSも繋がらなくなってしまい、おれは自分からあの人と連絡を取る手段を、全て失った。

だからおれはこの五年間、ずっと同じ電話会社の携帯を使い続けている。
あの人からの連絡をいつでも取れるようにしていたくて、二度と逢えないと分かっていたのに、おれは、結局一度もメールアドレスを変えられなかった。

いつか逢えるかも知れない、そう思い込んでいたかった。
だから、その可能性を完全に消滅させるような事は、おれには出来なかったんだ。

夜が近付き、運命の時が迫る。
おれはクローゼットの前に立つ。
身震いをするおれ。
『今夜は特別だから、特別な服を着て行く事にするよ。』

昔のおれは、自分の身に着ける服なんてどうでもよくて、身なりには全く無頓着だった。
ある日、そんなおれにあの人は、とても高そうな服や靴を、ひと揃いプレゼントしてくれた。
上等な紙袋に入ったそれらを見ておれは、驚かずにはいられなかった。
戸惑うおれにあの人はこう言った。
「俺はお前を愛している。
本当に大好きだ。
俺はお前を守ってやりたい。
けれど、いつまでもお前の側に居て守ってやれるかどうかは、分からない……。
だから、俺の居ない時、孤独に負けそうな時、独りで戦わなければならない時、そんな時にこの服を着て欲しい。
この服の持つ力が、俺の代わりに、いつでもお前を守ってくれるよ。」
そうだ。
あの時あの人はそう言って、おれの頭を優しく撫でてくれたんだ。

おれは嬉しかった。
おれは、あの人の好きな黒一色のプレゼントを手に、声を上げて泣いていた。
何でもない筈のその日は、俺にとっては特別な記念日になった。

俺は、今でも大切に保管してあるその服に、手をかけた。

それから程なくして、あの人は結婚をして、家庭を作った。
おれは、独りぼっちになった。
元々、家庭なんて、家族なんて、自分には関係のないものだと思っていた。
だからおれにとっては、独りぼっちで生きて行くのは、当たり前で仕方のない事の筈だった。

それでも、あの人と出逢ってから、おれは心の何処かで『この人と“家族”になりたい』と思っていた。
だからおれは、結局何にも出来ない、何の役にも立てない自分が情けなくて悔しくて、男である自分には何の価値もないような気がして、目の前が真っ暗になって、それでも大好きなあの人を責めたくなくて、ひたすらに自分を責め続けた。

ドジで弱虫のおれは、あれから何度もつまずいて、何度も涙を流した。
その度にクローゼットを開け、あの日のプレゼントの向こう側に見えるあの人の幻にしがみついた
おれの顔を覗き込んで笑うあの人が見える気がして、おれは、いつまでもいつまでもしがみついていたんだ。

深く息を吸い、ヨウジヤマモトの白いシルクレーヨンのシャツを羽織ったおれは、ウールギャバジンの黒いジャケットのぶら下がったハンガーに手をかける。
ファスナーを開けてカバーを外すと、気のせいか布地の匂いがふんわりと舞った気がして、おれは嬉しくなる。

『おれ、やっぱり、この匂い、好きだ。』
匂い立つ、パリの芳香。
ジャケットを羽織り、姿見の前に立つと、ごく自然に、背筋がピンと伸びる。
「青丹さん、あれからおれも、少しは身なりに気を遣うようになったんだよ。」
黒い服ばかりのクローゼットを前に、おれは静かに語りかける。
おれの顔を真っ直ぐに見て欲しいから、今日は帽子は被らない。

黒いローファーを履き、玄関脇の靴箱に乗る青いオードトワレを頭上に振って、おれの戦闘準備は整った。

軽い向かい風が、おれの頬をそっと撫でる。
ひんやりと空気が冷たい。
辺りはだいぶ暗くなっている。
日没まではあと一時間とちょっとだろうか。

駅の改札を出たおれの脳裏に、次々と不安がよぎる。
『あの人は今のおれの姿を見て、受け入れてくれるだろうか?
おれはあの人に相応しい男になれただろうか?』
怖じ気付いたおれは一瞬、引き返そうかとも思った。

けれども。
『逢ってからでも遅くはないんだ!』
そう自分に言い聞かせて、奮い立たせて、再び、待ち合わせの場所へと歩き始めるのだった。

そうして。
おれは立ち止まる。
あの日、あの人と初めて出逢った思い出の場所。
おれは、楓の木を前にして、拳を握り締めて佇む。

久々の再会。
あの人の少しも変わらない姿が、おれの背中を力強く押す。

おれはあの人の言う通りで、不器用だし頑固な奴だ。
やり過ごせばいいことは流せないくせに、おいしい話には乗っかり損ねて。
そうして、ただあの人のやってきたことを、そのまま真似して、追っかけてばかりで。

だから、今までおれが歩いてきた道のりなんて、全然大したことなどない。
今でも、情けなくて、どうしようもない奴なんだ。
思い込みが激しくて期待過剰で、同じ失敗を何度も繰り返して。
しかもおれは、弱虫だ。
そんな現実を綺麗に包み隠してしまう事は、そんな器用な事は、おれには出来ない。

それでも。
それでも今夜おれは、少しでも成長出来たところを、頑張ったところを、残らず、余すところなく見せたくて。
だからおれは、今、ここに居る。
おれの思いは、言葉では何も伝わらないような気がする。

けれど。
自惚れだって、分かり切っていても。
これが最後の恋だと、決めていたから。
だからおれは、今の思いを、言葉にして伝えなければならない。
おれの全てを賭けて伝えるから。
だから、怒らないで昔のままの姿で聞いて欲しくて。

おれは大きく息を吸う。
踏み締める足に、力が入る。

チェックメイト。

覚悟を決めなきゃ。

力一杯叫んだ。
おれの全てをぶつけた。

「おれはあの時も、今でも、あんたとなら“家族”になれるって思ってる!
どうしてかって?
あの時の、あんたの笑顔を、信じてみたんだよ。
根拠なんてないよ。
でも、それで十分だろ!

おれはあんたのことが大好きだ!

だからおれはあんたに、ずっと、ずっと、付いていくんだ!!」

おれは、肩で息をしていた。
あの人は、少しも動かず、何も答えない。
真直ぐな眼差しが、おれを突き刺す。

けれども。
何も言わずに見つめるこの人の瞳の奥に、おれたちの未来を見たような気がした。
気のせいかもしれない。
それでも、力強い眼差しの奥で、五年ぶりの笑顔を見せてくれた、そんな気がしたから。
もう、拒まれても、騙されても、全然構わない。
だからおれは、返事も待たずに抱き付いて、彼の“笑顔”にキスをした。

風が、止んだ。
止まる、時間。
はち切れそうな、おれの心。
答えを待つ、おれ。

次の瞬間、目の前の顔が綻んで、おれたちの未来への扉が、力強く開いた。
その笑顔を見て、もう一度、おれは心から、この人なら信じられる、そう思った。
この人の笑顔のためなら、全てを擲っても構わない。
目の前には、愛する人の堪らない笑顔。
その向こう側に続く広く長い道を、二人で歩く姿が、おれには今、はっきりと見えた気がして。

おれは、いや、おれたちは、本当に幸せだった。

*****

エピローグ

*****

一世一代の告白を終えたおれは、目の前の愛する人に、泣かずに、真剣な眼差しをぶつけた。
夕焼けに包まれながら思い出の楓の木の下で、おれたちは見つめ合った。
息遣いの伝わる距離で、互いの存在を確かめ合う。

おれの笑顔をもう一度伝えたくて、思い出して欲しくて、おれは青丹さんに心からの笑顔を見せた。
次の瞬間、青丹さんの唇がおれの顔にそっと近付く。

「みる、好きだ、愛してる。
ずっと一緒にいよう。
今度こそ、お前を守るから、約束するから!」
優しく、けれども力強く告げられた、愛の言葉。

ふいに感情がこみ上げる。
おれの心を激しく揺さぶる。
それでも、おれは泣かなかった。
おれは笑った。
ここでこそ笑顔を見せよう、もう一度見せよう、そう思った。
それでいいと思った。
思っていたよりも、俺には笑顔がよく似合う。
確信に満ちたそんな思いが、この時の俺を支配していた。
青丹さんは、そんなおれにキスで応える。
短い時間だったが、力強く抱き締め合いながら、おれたちは、互いの価値を、生まれて来た意味を、教え合っていた。

「みるは、珈琲でいいか?」
おれたちは喫茶店に移動していた
おれが隅の席に腰掛けると、青丹さんはその隣りに当たり前のようにやって来て、にんまりと微笑んで尋ねる。
昨日までも付き合っていたかのように、おれたちはすっかり打ち解けていた。
おれは、こんな時に自分が何を頼むのかを覚えていてくれた事を知って、涙を滲ませる。
そしておれは、内心の喜びを悟られないように、ポーカーフェイスでひと言、答えた。
「おう。」
たったそれだけ。

ん?
テーブルの上のメニューに一旦は向けられた青丹さんの視線が、再びおれに投げられる。
なんだ?

「あれ、話し方変わってる。」
この人は、おれの一世一代の告白を聞いていなかったのだろうか?あん時に気付けよなぁと思う。

おれは確かに、昔は自分の事を“ぼく”なんて言っていた。
弱虫のおれは、可愛がって欲しかったし、守って欲しかったから、少しでも自分を可愛く見せたかった。
けれども青丹さんが居なくなってからしばらく経った頃、そのままでは駄目な気がして許せなくて、弱い自分を変えたくて、おれは自分の事を、無理して強く見せる事にした。

今でもちょっと無理をしている自分に気が付いて、何となく恥ずかしくて照れ臭くて、おれはムキになる。
「いいじゃねえか、別に!おれだっていろいろあるんだ!一人で今まで頑張ってたんだぞ!」
少し言い過ぎたかも知れないと思ったおれは、手元にある水を一口、口に含んで、喉を潤した。

「あんまり無理すんな。」
あ、やっぱり見透かされてやがる。
おれを見守ろうとする優しい笑顔が、少し意地を張っていたおれの心をほぐす。
そんな青丹さんに、やっぱりおれは敵わなくて、おれはますます照れ臭くなってしまう。
そうやって俯くおれの頭を、青丹さんは嬉しそうに撫でてくれた。
話し方は戻せそうにないけれど、どうやらおれはこれからは、この人にたくさん甘える事になりそうだ。

『情けねえな、おれ。』
そう、昔から何の進歩もしていない、そうなのかもしれない。
それでも、何が何でも、数々の出会い、春希くんの犠牲を無駄にはしたくはない。
少しくらい強がるくらいがちょうどいい、それが男ってもんだ、今はそう思う。
「無理なんかしてねえっ!」
そんな強情を張るおれの顔からでさえ、自然と笑みが零れるのは、自分でも驚きだ。
さっきからずっとニコニコ顔の青丹さんを前に、おれは肩の力が抜けていくのを感じる。

「別にいいぞ、いっぱい甘えろなぁ。」
青丹さん、何だかおれの事、子供扱いだ。
それでもおれは幸せだった。
よく見ると、あの人もとても嬉しそうだから、観念しておれは頷く。
こんな瞬間も、たまにはあっていい。

誰かに甘える事、それがどれだけ難しい事なのかを、おれはこの五年間で、少しは学ぶ事が出来たつもりだ。
だからおれは、弱虫で甘えん坊のおれを、馬鹿にしないで受け入れてくれたこの人が、たまらなく愛しかった。
もう、何があっても離れるもんか!
決意を固くするおれ。

「また、寝技いっぱいかけてやるからな!」
なんだ、そっちかっ!おいっ!
だけどおれは、青丹さんとの久々の“夜”が今から楽しみで、居ても立ってもいられなくなる。

頭の中はもう、青丹さんとの夜の営みの妄想で、いっぱいだ。
記念すべき夜ももうすぐ、しかも喫茶店の中だというのに、体が火照って、腰の辺りが気になり出して、おれは困る。
目の前には、おれの異変に気付いた青丹さんの、意地悪そうな顔。
今日はおれにしては珍しく、格好よく決まったというのに……これでは、台なしだ。
ますます恥ずかしくなるおれ。

『あーあ、おれの猪。』
相変わらずの自分に、ため息を吐くおれだけれど、こんなのも自分らしくていいと思えた。
少しづつ、少しづつでもいい、成長していきたい、心からそう思う。

「それにしても太ったなぁ、なんかますます可愛いいぞ。」
落ち着かなくて上の空のおれに、青丹さんが嬉しそうに話し掛ける。

かつておれは、青丹さんの好みを知りたくて、聞き出そうとした事がある。
おれみたいなのがタイプだとはぐらかされてしまったが、もしかしたら自分の体重だと物足りないんじゃないかと、心配だった記憶があったのだ。
『おれ、ちょっとは青丹さんの好みになれたかな?』
五年前と比べて、一回り大きくなった自分の腹を見つめながら、おれは大きく息を吐く

「うるせぇ、中途半端じゃ相手にされねえから仕方なくなんだぞ、でも抱き心地はよくなってると思うぞ、早く試してくれよな。」
おれは顔を真っ赤にしながら、思い切って覚悟を決めて、腹をさすって、青丹さんを誘ってみる。
こんな事、初めてかもしれない。
頬が、あっつい。

「おぉ、みるから誘ってくるなんて珍しいなぁ、今夜どーだ?引っ越したばかりのマンスリーマンションだけど、よかったら来いよ。」
そう言いながら青丹さんは、手を伸ばしておれの腹を軽く撫で回す。
おれはただ黙って大きく頷いて、潤んだ目で青丹さんを見つめた。
頭から、湯気が出そうな気分だ。

だが、詳しい事情を知らないおれは、自分なんかが青丹さんの部屋に上がっても大丈夫なのか、不安に思う。
そんなおれの心の内を察してか、青丹さんは、別れた奥さんとは少し前から別居しており、正式な離婚手続きも昨日済ませた事などを、丁寧に説明してくれた。

そんな青丹さんを見つめながら、おれは隣りにある柔らかな手を、そっと握る。
暖かくて切なくて、幸せで胸がいっぱいになる。
青丹さんも、おれの手をそっと握り返してくれた。
やがておれたちは、少しの間黙り込む。
今夜青丹さんに抱かれるかもしれないと、想像するだけで、おれの頭は沸騰しそうになる。
ちょっぴり情けなくて、恥ずかしくて、おれはうつむいて青丹さんと距離を取った、ほんのちょっとだけ。

その後。
おれたちは二人の未来を語り合った。
心はすっかり落ち着いても、おれの喜びが消える事はない。
話が一段落ついた頃、青丹さんは大きな紙袋の中から、何かを取り出す。
それはAppleのものに違いなかった。
「ほい。」
テーブルの上に、高そうな箱が幾つも乗っかる。
どうやらおれへのプレゼントらしい。
早速それぞれの包みを開けると、中からは最新のiPad Proと、Apple Pencil、専用キーボード付きケースが出て来た。
Apple好きなおれを思う気持ちが嬉しくて、おれは無邪気にはしゃぐ。

その時だった。
おれの頭の中に、元気だった頃の春希くんの笑顔が掠めた。
『青丹さんと幸せになってね。
それが僕の今の一番の願いなんだから!
本当に、幸せになってね!
その代わり、夢の中では毎晩逢うんだよ、約束だよ!』
そんな春希くんの声が聞こえた気がして、おれの胸の内は複雑だった。
幸せには違いないけれども、胸の奥がチクリと痛い。
おれは話した。
あらましを全て。
言ってみれば二股だ。
青丹さんが拒絶すれば、もう夢の中でさえ春希くんには逢えない。
仕方ないのだ。
他に道はない。
春希くんのことは大好きだけれども、青丹さんに対する感情には、ちょっと敵いそうにもないのだ。
だが、青丹さんは全てを受け入れてくれた。
この時から、何があっても青丹さん、そして春希くんに付いて行こうと決めた。

窓の外の遥か向こう側には、日没間際の夕陽が沈もうとしている。
おれら三人が前途洋々であるように祈りながら、どこまでも続く三人の関係を、ただただ祝福するのだった。
おれらの未来は、明るい。
きっとそうに違いないから、明日も晴れるね!

よかった。
本当に、よかった。

お・し・ま・い
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