春の詩、いつまでも君を想おう

過去の出来損ないを改作した作品。
そんなに筋に大きな変化はないのですが、ラストが変わっていて、これは自分の中では重要でした。
何しろ前のラストが気に入らなかったもので。
良くも悪くも、自分らしい文章だとは思います。
少しでもお楽しみ頂けましたら、誠に幸いです。

*****

あれから五年が経ったというのに。
どうしたものだろう。
あの日の出来事を、まるで昨日の事のように覚えている自分がいる。
忘れられないのだ、青丹さんと音信不通になった日を。
そして、ズキズキと痛む胸を押さえ付けながら、今日も下唇を噛み締める。
「こんなんじゃ、駄目だ……。」
そう、もう分かり切った事だった。
別れの原因が自分にはなかった事も、それでもあの人が二度と戻っては来ない事も。
「何とかして、どうにかして、前に進まなきゃ……。」
おれは、自分に言い聞かせるようにそれだけを言い終えると、歯を食いしばり、拳を握り締めてその場に立ち尽くした。
「畜生……。」
雑踏の中、ただ一人立ち止まったままの意気地無しのおれは、溢れ出しそうになる感情を押さえ付けるのが精一杯だった。
「何でおれは、捨てられちまったんだ……。」
おれは、押し潰したような声をどうにか絞り出して、自分自身に問い掛けた。
答えなど出ない事は、分かり切っていた。
もう、数え切れない程に繰り返してきた問い掛けだった。
「青丹さん……。」
堪え切れずに、あの人の名前を呼んだ。
次の瞬間、涙が溢れた。
呼んではいけない名前だと、分かっていたのに、呼んでしまった。
おれは、弱虫だった。
六年目の春、未だに変われないおれの、悪足掻きにも似た、これが日常だった――。

海松色の日常 - 春の詩、いつまでもきみを想おう

――家に戻ると、枕元に置き忘れた携帯がメールの受信を通知していた。
「誰からだろう?」
ベッドに倒れ込んだおれは携帯に手を伸ばすと、そのメールを開いて差出人欄に目をやる。
次の瞬間、おれは目を丸くして驚いた。
「春希くん……!?」
それは、同じ大学に通っていた頃からの友人である、春希くんからの久々のメールだった。
『猛くん、久しぶり~。
元気だった?
ぼくは相変わらずかな。
良かったら今度会いたいな。
それじゃ、へんしーん、待ってるよ!』
おれは正直、迷っていた。
今は誰とも会いたくない。
そんな気分にはなれない。
でも、春希くんとなら、会って救われる事だってあるかもしれない、そんな思いも心の隅には確かにあった。
結局おれはその日の内に返事を出し、週末の休みに会う約束を取り付けた。
「おれ、どうしようもねぇな……。」
激しい自己嫌悪に陥ったおれは、布団を被ると、頭を抱えたまま眠りについた。
いわゆる、寝逃げというやつだった。

土曜日の昼下がり、近所のカフェの店内で、おれはいつになく真剣な表情の春希くんを前に、少し戸惑っていた。
「どしたの?何だか緊張してるみたいだけど……。」
おれが声を掛けても、春希くんは黙ったままだ。
どうしたものかとおれが考え込んでいると、春希くんはようやく、重い口を開いてくれた。
「ねぇ、猛くん……。」
早く続きを聞きたくて、おれは固唾を呑んで見守る。
大抵の事には、驚かないつもりだった。
だが、彼の口から飛び出した言葉のあまりの意外さに、おれは思わず固まってしまった。
「お願い、ぼくと付き合って!ぼく、猛くんのことがずっとずっと好きだったんだ、きっと幸せにするから、だから、ね……。」
そうだ、よく考えてみたらこれは別に不思議な展開ではないのだ。
何故なら大学の頃から春希くんの気持ちには気付いていて、
時間が経つ間に忘れていただけなのだ。
気が付くと目の前の春希くんは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
初めて見る表情だ。
そして、おれがなけなしの勇気を振り絞って春希くんの頭にそっと手を伸ばすと、春希くんは大粒の涙をポロポロと零し始めた。
「泣かなくていいよ!おれも春希くんの事は好きだからさ。でも、返事はもうちょっとだけ待ってくれないかな?待たせちゃって悪いけど……。」
おれがそれだけ言い終えると、春希くんは泣きながら黙って頷いてくれた。
やがておれが席を立つと、春希くんは精一杯の笑顔を見せて、手を振って見送ってくれた。
その姿を見て改めて“可愛い”と思ったおれの心の中には、この時、明らかに変化の兆しがあった。

その後、家に戻ったおれはベッドに横たわると、春希くんとの昔の出来事を思い返していた。
思えばおれは、春希くんに何度も救われてきた。
明るい春希くんの無邪気な笑顔わがおれにとっての唯一の支えだった時期も、確かにあったかもしれない。
それに、春希くんは昔からとてもいい奴だった。
そう、春希くんは冴えないおれの彼氏になるには、もったいないくらいに魅力的なのだ。
だが……。
おれは未だに、青丹さんとの事を忘れられないでいる。
こんなおれが春希くんと付き合う事は、果たして許されるだろうか?
それに、青丹さんのあの笑顔は、どうしてもおれの心の中に焼き付いて離れない……。
気が付くと、頬に一筋の涙が伝っていた。
おれはやっぱり、どうしようもなく駄目な奴だ。
いつの間にか、おれの脳は優しかった青丹さんのあの笑顔でいっぱいになっている。
おれは、誰もいない部屋の中で、自分の体を両手で抱きかかえると、ある予感を抱きながら声を上げて泣き叫んでいた。

翌朝……。
あれから結局、そのまま眠ってしまっていたおれは、目が覚めると、頭を掻きながらおもむろに携帯に手を伸ばした。
返事を待たせてはいけないと思い、春希くんに電話を掛ける事にしたのだ。
おれは深呼吸を一つすると、連絡先から春希くんの番号を探し出して、それを選択、発信する。
だが、春希くんはなかなか出ない。
諦めて携帯を耳から離し画面上の終話ボタンを押そうとしたその時、春希くんのいつもとあまり変わらない表情の声が微かに聞こえて、おれはホッとした。
「春希くん、昨日の話だけどさ……。」
おれが呼び掛けても、聞こえるのは吐息だけ。
それなのに、春希くんの緊張がスピーカー越しに伝わる。
おれは、早く春希くんの緊張を解いてやりたくて、言葉を続ける。
「正直、まだ青丹さんの事は吹っ切れてないんだけど、そんなおれでも良ければ、春希くんの彼氏にしてもらえたら、って思ってるよ。」
そこまで言い終えると、覚悟を決めたおれの顔には笑みが浮かんでいた。
後は、春希くんの言葉を待つだけだ。
だが、春希くんは何も言ってはくれない。
ハッとして、おれは耳を澄ませた。
春希くんは、泣いていたのだ。
そして、ようやく口を開いてくれた春希くんは、泣きじゃくりながら懸命に思いを伝えてくれた。
「ありがと、すっごく嬉しいよ。ぼく、早く猛くんの一番になれるように、頑張るよ!頼りない奴だけど、これからもよろしくね!」
こうして、可愛い彼氏が出来たおれは、幸せな日々を送る……はずだった。
だが、運命の神様は、時に残酷な仕打ちをするものだ。

うたた寝をする。
夢に青丹さんが出て来た。
「猛、春希君の事、ずっと大事にするんだぞ。側に居てやれなくてすまない。ただあの子とは、何があっても離れるなよ。友達でも何でもいい。約束だぞーー。」
僕が振り返って「待って」と叫んでも、無情にもその幻は消えて行くのみ。
でも何故だろう。
かえって清々しい。

春の夢、君の跡。
涙さえ、尽きてなお。
まだ好きだ、忘れない。
誓っても、忘れない。
逢いたくて、逢えなくて。
君の全てを、辿ってみても。
まだ分からない、あの日の訳は。
どうしてなのか、離れ離れで。
悲しくなって、それでもなおも。
君はおれの背中を、今も変わらずにただ、押し続けているのだ。
誰も居ない筈なのに、君の声に生かされる、まただ!
何故だろう、この感じ。
君が、君が、そう、青丹さん、あなたが、たとえあなたが居なくても、今日からはおれ、あの子となら、生きてゆけそうな、そんな気がする。
だから大丈夫。
まだ正気で居られるね、あの日の事も、恨まなくて済むんだね。
おれ、おかしくなかった、良かったーー。

起きて、寝惚け眼で。
水で顔を洗ってシャキッとしたら、頭上からシャワーを浴びてスッキリ爽快。
支度をして午後、早速逢う事になったおれたちは、おれの住む部屋の最寄り駅前のロータリーで待ち合わせをした。
春希くんは車で来るらしい。
クラクションが短く鳴ったので振り返ってみると、そこにはハンドルを握る春希くんの姿があった。
「猛く~ん!こっちだよ!」
にこやかに笑いながら手を振ってくれる春希くんは、やっぱり可愛い。
おれは手を振り返すと、春希くんの乗る車に駆け寄り、助手席に乗り込んだ。
「早速だけど、海に行かない?伊豆の白浜、まだ人がいないから、砂浜も綺麗だよ!」
伊豆白浜といえば、中学生の頃以来行っていない。
春希くんは、目を輝かせておれに迫る。
だからおれは、大学生の頃の夏の思い出を思い出すと、ちょっぴり意地悪く、こう答えた。
「まだ寒いから海の中でHは出来ないよ、残念だね。」
海と言えば、どうしてもあの時の事を思い出すのだ。
で、春希くんはというと、破裂しそうな程に頬を膨らませて、「あの時だってしてないじゃんか!」と怒るのだった。
それはもう、ぷんすか音がしそうな程に。
可愛い、と思った。
何だか嬉しくなったおれは、身を乗り出すと春希くんの河豚みたいになった頬に、軽くキスをした。
「あ……。」
春希くんが声を上げるので見てみると、顔が茹で蛸みたいに真っ赤なので、おれは驚く。
あれ、キスなんて昔散々したのにな。
でもま、恋人同士になったという事で、気分が改まったというのも、きっとあるだろう。
おれは深く考えない事にして、春希くんが用意してくれていたペットボトルに手を伸ばす。
「これ、飲んでいいよね?」
春希くんが笑顔になって頷くので、おれは蓋を開けると、半分程を一気に飲み干した。
ちょうど喉が渇いていたのだ。
「猛くん、ちょっと飲み過ぎだよ〜。」
春希くんが笑って頬を突っついてくるので、おれも笑った。
楽しい時間だった。
そうして、やがて春希くんは車を発進させる。

だが……。
それから五分も経たない内に、悲劇は起こってしまった。
昼間だったにもかかわらず、居眠り運転のトラックが対向車線から突っ込んできて、春希くんの運転する車と衝突したのだ。
……その瞬間、おれは死んだかと思った。
だが、気が付くと幸いな事に、身体に痛みはない。
何時の間にか春希くんに手を握られていたので、おれは声を掛けようと横を向く。
春希くんは、黙ったまま俯いていた。
胸からお腹にかけて、出血がある。
おれは思わず、叫んでいた。
叫ぶしかなかった。
「春希くーんっ!!」

一ヶ月後、病室で。
春希くんは首から下が麻痺していた。
かわいそうで、あまりにもかわいそうで、おれは毎日面会に来ていた。
春希くんは言った。
「ぼくは平気だよ。働かなくて済むんだし。猛くんは好きな人とちゃんと恋をするんだよ。もう来なくて大丈夫。その代わり、毎晩夢の中に遊びに行くからさ、お願い、待っててーー。」
おれは首を横に振りながら泣きじゃくった。
そんなおれの情けない背中に春希くんはなおも声を掛ける。
「ほら!夢の中でならいつでも逢えるんだから、行った行った!」
そうやって急かされてようやく立ち上がるもおれは、何度も振り返りながらいつまでも手を振った。

病院からの帰り道、電車の中で居眠りをすると、夢の中に確かに春希くんが現れた。
春希くんは言う。
「現実の世界では誰と恋愛してもいいよ。むしろ自由で居て欲しい。病院にも来なくていい。でも、夢の中では猛くんはぼくだけのものだからね!それだけは忘れないで。毎日会おうね!」
夢の中で、おれは春希くんの事を思いっ切り抱き締めた。
正確には、そんな風に見えるようにしてみただけだった訳だが。
その瞬間、春希くんは触れる事も出来ないおれの胸の中で、確かに笑った。

ふと気が付くと、電車は最寄り駅に滑り込もうとしていた。
おれは、慌てて席を立つ。

「おれ、夢の中と現実で二股かけるのかな?贅沢だな。」
複雑な心境だったが、夢の中では話すのが精一杯。
それに青丹さんにだって結局の所二度と逢えないだろうというのは、残念ながら分かりきっていた。
少なくとも、そのつもりだった。

それでも春希くんの優しさに、おれはすっかり甘え切っていた。
それから半年も経たない内に、日常が加速していくのを、まだまるで予測も出来ないまま。
「たとえ青丹さんと再会出来たとしても、春希くんの事は絶対に話さないし、離さないーー。」
心にそう誓って、おれはその夜、眠りに就いた。
「春希くん、今夜もまた逢って遊べるね!」
日課となった日常。
もうあの日々には戻れない。
それでも。
何の価値も持たない訳でもない。
肌を寄せ合う事こそ叶わないが、夢の中で無二の存在で居る事くらいは、容易い。
落ち込んだおれがこうして生きていられるのも、春希くんのお陰だ。
そうだ、青丹さんーー!
あの時の夢の訳が、今こうして分かった。
「好きだよ、大好きだよ、春希くん!」
「ぼくもだよ、猛くん。」
そうやって今夜も、夜は更けていく。
確かにおれたちは、嘘偽りなく幸せだった。
夢の中の春希くんは、自由に身体を動かして、それはもう楽しそうだ。
離れてはいけない、そう思った。
春希くんが壊れてしまう、そんな気がした。
でもそれだけでもない。
今春希くんと夢の中で逢えなくなったら、ぼくだってきっと壊れてしまうに違いなかったのだから。

朝目が覚めると、また独りの一日が始まる。
それでも寂しくないのは、毎夜の幸せがあるからだ。
青丹さんや春希くんの姿がちらついて、おれの心は落ち着かない。
それでも、やっと掴んだ幸せを、もう決して離さないと、固く心に誓ったから、きっと誰の事も裏切らないから、だから、おれの前には幸せへの一本道が続いている。
少なくともおれはそう信じている。
その時、一陣の風が吹き抜けた。
事態は思わぬ方向へと、しかし加速度的に、運命の秋へと向かい出すのだった。

春、爛漫。
たとえ頭上の桜が散っても、おれの恋の季節はまだまだ、終わらない。

-続く-
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