[ NEW ! ] 共に生きる、その意味をーー [第二版]

[0] 作品に寄せて

黒川紀章の新・共生の思想、あの本をお読み頂ければ、理解がより深まる上に日々の思考の手助けともなるとは思うのですが、どうも入手は比較的困難な感じがしますので、少し残念な気がします。
名著でした。
この作品は世界屈指の大建築家だった黒川紀章への、僕なりのオマージュのようなものです。
子供の頃に多大な影響を受けた自分としては、いつか書きたかった題材なのです。
ですが書いた本人としましては、気楽にお読み頂けると嬉しいのです。
途中多少わかりにくい箇所もあるかも知れませんが、流し読み大歓迎です。
是非最後までよろしくお願い申し上げます。
ちゃんとハッピーエンドになっているので、自分でも好きなのです。
冒頭は、少しトゲトゲしているかもしれません。
敢えてそのままにしました。
書いた当時の偽らざる心境なので。

共に生きる、その意味をーー
[リリカルライフのススメ]

[1] Introduction

君と共に生きよう、そう思った。
顔ニモマケズ、という表現がある。
君もまた、その一員なのだろうか。
周囲の者達との対立を促す、風貌。
それでも君が、好きだ。
他に理由など要らない。
共に生きられれば、それでいい。

僕達を嫌う人間は、嫌えばいいのだ。
対立など、幾らでもすればいい。
俯瞰する眼を持たぬ者は残らず、愚か者だ。
愚か者は滅び去るしかない。
運命であり、摂理なのだ。

たとえ劇的に対立していても矛盾していても、互いに必要とし共に生きてゆけるのであれば、それでいい。
仲間達だけの中で生温く生きてゆくのは、可能かもしれないが、それだけでは詮ない。

君もまた、同じように思ってくれるだろうか?
敢えて今、君に問いたい。
どうだい?
ねぇ君よ。

[2] 花の舞

人間関係は、建築の図面の軸線操作によく似ている。
建築は、軸線を一本動かすのにも、論文が一本書けるだけの緻密さが必要だ。
複雑な曲線も含めて、全ての線が幾何学や関数で決まるのが建築。
幾重にも複雑な計算が必要だ。
その繊細な機微は、人間関係にも喩えられるだろう。
もちろん、人間関係にも理論は必要となる。
もとより今は、機械の時代ではなく生命の時代だ。
建築の表現にもそういったものはある。
だからよく似ているのだ。

もっと言えば、人間関係とは、緻密に構築された図面と理論の集合体そのものだと、言っていい。
そう、建築に於ける意匠が人間に於いての外見ならば、図面とそれを支える理論こそが人間の内面であり、人間関係なのだ、であるからこそ、君が好きだ!
大好きだ!

君は優しい。
心から思う、本当に優しい。
そして、とても個性的で、綺麗だとすら思う。
たとえ他に味方がいなくとも、絶望だけはしないで欲しい。
何時どんな時でも、少なくとも僕だけは確かに、君の味方なのだから。

今日も嫌がらせに遭った。
幼い子供が、路上の石を君にぶつけたのだ。
それでも君は、いつも通りにニコニコしながら、挨拶をして通り過ぎていったね。
これが心から尊敬出来る、君の長所の一つだ。
こんな時、君は聡明だから、案外理詰めで行動しているのではないかと思う。
内心では悔しいに違いない。
でも僕達はこのようにして、対立しながらでも共生が可能だ。
多様な価値観があっていい。
世界が一色に染まる必要など、断じてない。
巷では、理屈では説明出来ないとも言われる人間関係、
しかしリアス式海岸でさえも関数に乗せることが出来る時代、本当に、分厚い論文がそれこそ何本でも書けそうだが、説明することは不可能ではないだろう。

或る日のこと。
僕達は、知る人ぞ知る行きつけのすき焼き屋に行くことにした。
そこは僕の両親が生前懇意にしていて、こんな僕達のことでさえ歓待してくれるから、好きだ。
いつも通りに案内されて、座敷へと座る。
春の夜、二階の窓越しに満開の桜並木が映る。
すき焼き屋の建物と桜並木との間には道があり、ちょうどいい「間」となっている。
いわば中間領域的な、或いは利休鼠のような。
座席から見下ろすと、桜、ライトアップされていて、綺麗だ。
そう思ったから僕は、「ねぇ、あの桜、君みたいに綺麗だよ」、それだけを口にした。
ある意味で君の顔は、バロック芸術のように美しいと、僕はそう思っている。
まぁ、そんな気がするだけだが。
そう思っていると、君は頰を紅く染めて、僕にしなだれかかる。
二人して今日は飲んだ。
お酒のせいでもあるだろう。
この上なく幸せなひと時だ。
こんな時、重畳極まりないという昔の言葉を思い出して、思わず少し笑ってしまう。

今日は、君はよく食べた。
ご飯をお腹一杯に食べる君の顔を見るのが、好きだ。
至福の笑みを浮かべる君の横顔を見ながら、僕はすき焼きをもう少し粘る。

外の風が強くなってきた。
桜の花びらが無数に舞い始める。
花の舞、夜が深くなる中、なお一層美しく在る。
食事を終えた僕達は、お会計を済ませると、タクシーで帰途に着いた。

[3] 君を連れて

明くる日。
君は朝から頗る機嫌がいい。
昨夜のすき焼きが余程嬉しかったようだが、すき焼きなんて毎月食べている。
や、まるで僕が、美味しいものを一切食べさせていないようではないか!
そんなご機嫌斜めの僕を尻目に、君はくるくると回りながら喜びを全身で表現している。
嬉しい時、君はよく回るのだ。
負けたよ、そう思った。
だから僕は君に、ハグをした。
君は目を潤ませて、僕のおでこの辺りをじっと見つめる。
や、そこなんにもないぞ、そう思いはしたが、嫌ではない。
こんな気分の日は、二人でドライブに限る。
僕自慢の小さな黒いオープンカーの幌を開けて走り出すと、気持ちのいい風が頭上を掠めてゆく。
君を連れて、美術館へ。

遠出なので、途中の食堂で休憩がてら、少し早いランチ。
二人揃って、とんかつ定食を頬張る。
とんかつは、僕達の大好物だ。
むしゃぶりつく君、僕も齧りつく。
夢中になっているとお店の女将さんがやって来て、大変でしょう?と声をかけてくれた。
いえいえ、と僕は首を横に何度も振り、君の、陽太の頭を撫でてやった。
女将さんは一礼をすると去ってゆく。
いい人だった。
君を連れ出して、よかった。

車でそれから二時間、美術館へと到着する。
目の前には美術館の、圧巻の全景。
この美術館を設計した建築家が好んだ、抽象幾何学形態[アブストラクト]のオブジェクトを慎重に操作・配置して緊張感を生み、アブストラクトとは真逆のシンボリズムを獲得しようとする手法、現物を生で見て、感嘆した。
これは美しい!
理論と美が両立しているのだ。
こんなことがあり得るのかーー僕は陽太の手を握ったまま、その全景を暫し見入っていた。

館内。
ここは東京よりも少し寒い。
花柄のワンピースに茶のレザーのジャケットを羽織ったおめかしした女性などが、閑散とした中に佇んで作品をじっくりと撫でるように見てゆく。
途中通り過ぎたホワイエでは、携帯を使ってSNSで今日の日を報告する人達の姿が見られた。
辺りに、溶け込む。
陽太と出逢った頃に僕が望んだ、一番のこと。
それがここでは、実現している。
嬉しい。
見ると陽太も笑ってくれている。
ありがとう、そう言って僕は、陽太の頰にキスをした。

僕には、両親の遺産があった。
だから僕達はこんな暮らしが出来る。
自宅は代官山の小さな分譲マンション。
北青山にあった実家の屋敷は、売り払った。
老朽化していたのだ。

代官山では、肩身が狭い。
陽太の外見を気にする人達が、大勢いたのだ。
ステイタスが高過ぎるのも、考え物だ。
陽太がいたのに、誤った買い物をしたものだ、我ながら。

ここではどうか。
決して田舎ではないから封建的ではなく利便性も高い上に、しかも気取っていない。
今の僕は在宅でテレワークをしている。
このネットワーク時代、住まいなど正直、何処でもいい。
日本の首都でさえ、分散移転が可能なくらいだ。
それならいっそ、ここに越してしまうのはどうかーー。
決断は早かった。
代官山のマンションはまだ築浅だから、高値で売れる。
躊躇する理由などない。
何よりここでの陽太の笑顔が、僕の背中を後押しした。
君を連れて、何処までもゆこう。
そう誓って、引っ越しを決めた。

[4] 命の価値を

陽太は今から二十五年前に、東京下町の産院で産まれた。
その顔を見た母親は、泣き崩れたという。
まもなく母親は、悲観するあまりに自殺を遂げてしまう。
それ以降は父親の下で暮らしたが、癇癪を起こした父親によって瀕死の重傷を負い、他に引き取り手もなく施設暮らしとなった。
陽太は知的障害を負っていた。
だが瞳の綺麗な子で、それが陽太を守ったのだと、当時の職員さんから話を聞いている。
虹彩異色症という病気のためであったが、左右で瞳の色が異なり、そのどちらもがとても美しかったのだ。
その瞳に見入る人は、多かったという。
顔立ちも、特徴的ではあるが、或る意味ではバロック的な美しさがある。
陽太は重度の先天性疾患とは異なるのであり、だからこそ生きてさえいれば、悪いことばかりではないのだ。

思えば陽太の存在は、僕に命の価値と重みとを教えてくれていたような気がする。
出逢いは、十年前。
当時両親が生きていた頃、養護学校卒で叔父の経営する工場へと就職する子がいるというので、指導係を頼まれたのだ。
両親が生きていた頃の僕は、特に父親の勧めもあり、社会勉強の一環としてその工場で働いていた。
だから、話は早かった。

僕の目もあり、職場での表立った苛めなどはなかった。
無視はされていたが、その程度のことには陽太は、慣れているようだった。
僕も陽太も事務方だったが、一番キツかったのは何よりも日々の仕事だ。
計算も出来ない、数も覚えられない、電話の受け答えも出来ない、字も書けないーー。
率直に言って陽太は、事務方の要員としては全くもって使い物にならなかったのだ。
僕の努力も虚しく、程なくして退社が決まり、再び施設へと戻ることになった陽太。
可哀想だったのもあるが、それよりもその時には既に僕は陽太のことが、好きになっていた。

だから僕は、父親に頼み込んだ。
遺産の生前贈与の一環として、マンションをねだったのだ。
物件は僕が決めた。
あの代官山の物件だ。
両親は僕と陽太の関係には理解があったから、この話を二つ返事で了承してくれた。

それから、陽太は見違えるようになった。
笑顔でいることが多くなった。
言葉もぽつぽつと話すようになった。
今もってまだ、取り留めのない内容ではあるが、大きな進歩でもある。

命の価値を分かること、履き違えないことーー。
僕に求められていたのは、ただそれだけだった。
そしてそれは、思っていたよりもずっと、簡単なことだった。
きっと誰にだって出来る。
それはそうだ。
陽太の瞳を見れば、それさえすれば、間違いなく誰にでも出来る筈なのだから。

[5] FLAME

立夏の、宵の口。
二人の恋の、愛の炎が燃え上がった。
カーテンは開け放ってある。
ここはタワーの高層階、覗かれる心配もあまりない。
そう、ここに今日、引っ越したのだ。
或る意味では、初夜であるとも言える。
好きだよーーどちらからともなく。
キスをして、抱き合って、舐め合って、絆し合う。
もう離れられない、間違いない、それでいい、それがいい、もっと近くにきて欲しい、もっと、もっと!

空には満点の星。
何時までも何時まででもこうしていたい、そう思える至福の時間だった。

翌日。
共用ルーフデッキで、二人して昼間からバーベキュー。
陽太には偏食の傾向があり、少し困っている。
トマトとピーマン、そして鶏肉と生魚を食べないのだ。
何をそれくらい、と言われるかもしれないが、偏食はないに越したことはない。
特にトマトとピーマンは栄養豊富な野菜なので、是非とも食べて欲しい。
ここはひとつ言い聞かせた。
嫌いなものをひとつ食べたら、後で一回、部屋でキスをしてあげる、と。
食べる食べる、それはもう。
これには、驚いた。
後で大変なことになったのは、言うまでもないが。

こうして僕達はこれからも、のんびりゆったりと、共に手を取り合って暮らしてゆく。
時に燃え上がることもあるだろう。
果たして、時間は見守ってくれるか、或いはーー勝負だ!
僕は陽太に残りの未来を全部賭けた。
陽太は僕に賭けてくれるだろうか、それは未来にしかわからない。
それでも一つだけ、これだけは言える。
僕達は今この時を、愛し合っているーーそれだけで本当に、十分なのだ。
陽太よ、側にいて欲しい。
生まれてきてくれて、ありがとう!

[6] Conclusion

シンクロニシティ、という言葉がある。
共時性という意味の言葉で、建築では場の共生[同じ時代(時間)に世界のあらゆる「場」に多様な価値が共生し、多様なことが起きているということ]を意味する語だ。
たまに耳にすることもあるだろう。
陽太はよく僕を助けてくれる。
よくある虫の知らせに敏感なのだ。
虫の知らせ、これも一種の共時性なのだろう。
たとえば恐らく共時性とは、同じ時間に異なる出来事が起こり、そこに因果関係があたかもあるように見えることであろうから。
世界では、同じ時間に、実に様々なことが起きているものだ。
たとえば、陽太が腹を下すと決まって悪いことが起こる。
少なくとも、僕にはそんな気がする。
この間も、斜め横断の老人を轢きそうになった時に、陽太が虫の知らせで教えてくれた。
まぁおかげで自慢の白い皮のシートは、べちゃべちゃになってしまったのだが。

僕だけが尽くしているのではない。
だってそれでは疲れる。
そうではない。
日々、無数の虫の知らせによって、僕も助けられ、また尽くされているのだ。
本当に感謝している。
助け合いなのだ。
よかった、本当に。

このままソリトンのように日々をすり抜けられれば!
ただ淡々と、君と喜びを噛み締めてゆきたい。
きっと何時までも、何処までもーー。

-THE END-

[7] 文末に寄せて

花の舞という章タイトルは、黒川紀章の花数寄から取りました。
シンクロニシティという言葉もソリトンという言葉も、ついでに本文にはありませんがフラクタル幾何学も、黒川紀章の著書である「共生の思想」または「新・共生の思想」で知りました。
何方だったかは覚えておりません、散逸しておりますので。
読んだのは中学生の時のことです。
抽象幾何学形態のオブジェクトを、といったくだりは、黒川紀章のアブストラクト・シンボリズムそのものです。
作中に出てくる架空の美術館のモデルは、愛媛県総合科学博物館でした。
まぁ、どのくらい仕込もうか、という点については大いに悩みました。
着地点を探すのには少しばかり苦労した訳で。
すっかり過去の人ではありますが、これを機に、黒川紀章に興味を持って頂けると、まさに重畳極まりないです。
皆さま、是非!
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