[ NEW ! ] 夏の宵、君と共に在ろう

夏の宵、君と共に在ろう
[リリカルライフのススメ]

[1]

五月の初旬から中旬にかけて。
急に蒸し暑い日が増えてきた。
我が家にはクーラーがない。
宵の口の少し前、窓を開け放ち、少し気の早い蚊取り線香を焚く。
白い下着のシャツと、白ブリーフ。
まだ二十歳のぼくには似つかわしくないだろうか。
ただ自分では、特に気にしたこともない。

夕陽がレースのカーテン越しに眩い。
なぜレースにしたのかはわからない。
たぶん、安かったのだろう。
もうそれさえも忘れ去っている。

あの子が出て行ってから、もう三ヶ月になる。
未だに心を巣食う、後悔の念。
あの時あの子を、共に暮らしていたあの子を、無断欠勤くらいであんなにも責めなければ、或いは僕達の暮らしはまだ安泰だったのかもしれない。
それでも、言わずにはいられなかった。
頭が沸騰したのだ。
社会人で無断欠勤だなんて、あるまじきことだと思った。
そんな僕は、あの子の心の涙を、少しも掬えてはいなかった。
こんなにも愚かな自分を許してくれるなら、もう一度だけチャンスが欲しい。
でもそれは、あまりにも身勝手な願いだというものだろう。

あの子は、職場で苛められていた。
一度、あの子の勤める会社に連絡をしたことがある。
共に暮らしていたことは知らせていたからだ。
今から思えばそれは、裏目に出たのだろう。
何もないですよ、そう受付の女性に慇懃無礼に言われてカチンとはきたが、そこは一応は大人、黙って電話を切った。
それ以来、あの子の帰りが遅くなった。
くる日もくる日も、残業を山のようにこなしていたのだ。

可哀想だった。
だからこそ、もっと側に寄り添うべきだった。
しかし、そんなことを考える間にも時は過ぎてゆく。
今日は金曜日。
もう週末なのだ。
閑散期で早仕舞いだったので、もう家にいる。
そろそろ夕食が食べたい。
こんな時にも、時間がくれば腹は減るのだ。
或る意味では、大変正直なお腹ではある。

電気ケトルでお湯を沸かす。
その間に冷蔵庫から、昨日の買い置きのサラダを取り出して、蓋を開けドレッシングをかける。
箸を持ってきてサラダを食べていると、お湯が沸いた。
僕は大盛カップ焼きそばの外装フィルムを剥がすと、蓋を半分まで開けてかやくやソースを取り出す。
お湯を注ぐと、白い湯気が舞った。
ここでテレビをつける。
なんとなくだ。
それにしても今日は特番が多い。
それとなく事情はわかるが、面白くはないのですぐに消した。
静かな室内。
ちょうどサラダを食べ終えたところで、三分が経った。

焼きそばを食べていると、奇妙なことに気付く。
時計が壊れているのだ。
その時計は、午前三時を指していた。
一方で僕の携帯は夕方も終わりになる頃の時刻を示している。
何処か嫌な感じがしながらも、焼きそばは食べ終えた。
ホールケーキがあったが、夜中目覚めた時にでも食べようと思う。
今はまだいい。

夜、携帯を弄る。
なんとなくの、SNS巡り。
先程のケーキをコーラで流し込みながら、ただダラダラと時間を潰す。
気付けば午前三時。
SNSにメッセージが届いた。
それはなんと、別れたあの子からのものだったーー。
要件は簡潔だ。
メッセージは「会いたい」、ただそれだけ。
呆気にとられて、暫しの間身動きが取れなかった。

翌朝。
身支度をする。
午前十時にあの子と、新宿のカフェで待ち合わせをしたのだ。
僕はとっておきの勝負服を身に纏うと、珍しい黄緑色のボトルに入った香水を振った。

何故だろう。
胸騒ぎがする。
それでも僕は、前に進んだ。
後悔するかもしれない。
でも、会わないで後悔をするよりはマシだと、確かにそう思ったのだ。

この日は五月にしては珍しく、とてもひんやりとしている。
あの子がいた。
確かに、そうなのだ。
瞬間、冷たい風が頬を撫でる。
驚いた。
彼はボロボロの作業服の姿で、明らかに周囲とは浮いた格好でそこにいたのだ。
「雪弥ーー。」
僕の口の端から漏れ出た言葉は、ただそれだけだった。

[2]

カフェの奥まった席で、今時珍しくも僕達は揃って、ウインナーコーヒーなどを飲んでいた。
雪弥の瞳からはほろほろ、ほろほろと止め処なく涙が零れ落ちていた。
言葉は暫し、なかった。
僕は久方ぶりの雪弥の姿を、何処か他人事のように見ていた。
冷酷なんだな、そう自覚した。
それでも、そんな僕でも雪弥には、側にいて欲しい、そう思っていた。
窓の外は、俄雨。
僕は、窓に映る景色に視線を移した。
その時だった。
「ねぇ、裕哉。」
静寂を微かに切り裂く、震えた声。
振り向くと、僕は頰にキスをされた。
呆気にとられた。
でも、嬉しかった。
まだそんな感情が残っていることに、自分でも驚いた。
たぶん自分はまだ、人間だったのだろう。
手遅れになる前でよかった、本当に。

カフェを出る。
雨は止んだ。
手を繋いで、スーツの安い、或る服屋へと向かう。
これからホテルに行く。
そのための服を買うのだ。
別に今、事をしたい訳ではない。
そうではなく、美味しいランチブッフェがあるのだ。

服屋で会計を済ませると僕達は紙袋を持って、ネットカフェのカップルシートを利用することにした。
雪弥が着替えるために、そうするのだ。
時刻は十二時、ちょうど昼食時だ。
僕達はネットカフェを出ると、西新宿のホテルへと歩いて向かった。
しばらく歩くと、ホテルが聳え立つエリアへと到着した。
随分と久し振りだ。
緊張気味の雪弥の手を引いて、僕はエントランスを潜る。
ホワイエを抜け、エレベーターに乗り込むと、高揚感が高まった。
降りるとそこはタワー上層階のレストラン。
今日をとっておきの一日にしたいーーそんな願いが、懐事情を尻目に僕を突き動かしていた。

食後、辺りを散歩してから家電量販店へと向かう。
ドライヤーが不調なので、新調するのだ。
何万円もするものもあって二人して驚いたが、買ったのは三千円のもの。
ここは節約をする。
何かを得たら何かを我慢する、当然のことだ。

その後、再びカフェで時間を潰した僕達は、二人の自宅への帰り道にデパ地下でお惣菜などを買った。
今夜は、お祝いなのだ。
そう、今日は記念日。
二人にとっての、最大の。
ローストビーフにマリネ、カニクリームコロッケにビーフステーキ、チキンの照り焼きにマカロニグラタン、ケーキにシャンパン。
色とりどりの、パッケージ。
たくさんの荷物を二人で持って、また共同作業の始まり。
二人三脚、いつでも一緒だ。

帰って、二人して当たり前のように寛いで。
雪弥はテレビを観て、声を上げて笑っている。
僕は使い古したタブレットでブログの閲覧。
取り戻した日常、いや、帰ってきた日常、かな。

夕食の時間、テレビを消して静かなひと時。
安いモエを開けて、気分は最高潮。
これでもモエだ、奮発したのだ。
「おかえり雪弥、今日は飲むぞー!」
「いぇーい!」
二人して、笑った。
僕に必要なものは、そう、これだったのだ。

およそ二時間後。
僕達はソファの上に揃って転がっていた。
おもむろに、雪弥が今度は唇に、長い長いキスをした。
それから一時間、組んず解れつ。
天国のような、しかし激しいひと時だった。

夜中、ベッドの上、隣で雪弥が泣いている。
ふと時計を見ると、午前三時だった。
雪弥は嬉し泣きをしているようだった。
だがこの後、僕達の運命を揺るがしかねない大事が発生する。

[3]

次の瞬間だった。
地面がうねるような大地震が、僕達の住まう築二十年のマンションを直撃する。
死ぬかと思った。
だが、壁面にもヒビは入っておらず、躯体は無事だった。
頭上から降ってきた漫画本の雨で二人共に怪我をしたが、重傷ではなかった。
地震の規模が震度六弱だったのが、辛うじて幸いした。
震源地は千葉。
少し離れていたからよかったようなものの、ことと場合によっては危なかった。

雪弥が寝静まった後、僕はその隣りで独りで、考え事をしていた。
僕達の昔のことを、思い出していたのだ。

僕達は、隣同士の家にそれぞれ生まれた、同い年の幼馴染みだった。
幼い頃から、交流は密だった。
バーベキューにキャンプに、バイキング。
遊園地にもよく出かけた。

恋愛の感情を抱く前から、雪弥のことが好きだった。
もちろん、友達として、である。
他の子と仲良くしているのを見る度に、嫉妬した。
幼かった。
そんな僕にも、雪弥はいつでも優しかった。
よく笑顔で、手を差し伸べてくれたものだ。

やがて僕達が小五になった時に、恋の幕は上がった。
先に僕の方から恋をした。
だが、言えなかった。
そんな訳なので、告白をしてくれたのは、雪弥だった。
「ねぇ裕哉、僕のこと好きでしょ!僕も好きになっちゃった。付き合おうよ、ね!」
笑顔だった。
僕はとてもわかりやすかったのだと思う。
こうして結ばれ、今に至る。

それからも、色んなことがあった。
小六の冬、スキー場で。
僕はまだ慣れていなかったから、リフトから落ちて骨折をしてしまった。
痛みなんて雪弥の泣き顔に比べれば大したことはないと、この時本当にそう思ったものだ。
当時の僕、熱かったなぁ。

高校進学の際にも、トラブルがあった。
元々成績は僕の方が随分とよかったから、違う学校に通う筈だった。
しかし入試の当日にインフルエンザで熱を出した僕は、結局はそこは受験出来なくて、雪弥と同じ高校に進学することになった。
一応両親の手前残念がってはみたが、内心ではガッツポーズをしていたものだ。

また、振り返れば大学受験の失敗という大事もあった。
父親の経営する会社の業績が厳しいという経済的な理由などにより浪人は出来なかったのだが、受験シーズンになって重度の肺炎にかかってしまい、その年を棒に振ってしまったのだ。
雪弥は就職の予定だったから、これで揃って就職となったのだ。

ふと、意識が部屋に戻る。
隣りで眠る雪弥は、まるで天使のようだった。
倦怠期かとも思っていたが、それは間違いだったようだ。

突如、またぐらぐらと揺れる。
余震だ。
テレビをつけると、震度五強とあった。
大きい。
雪弥が目覚める。
キスをして、二人して眠ることにした。

[4]

雪弥の新しい職場は、あまり評判がよくなかった。
幸い、僕は父親の経営する会社に勤めていたから、かけ合って雪弥も勤められるようにしたのだ。
同じ職場に同い年、同じ部署で僕が先輩、教育係。
いつでも仲睦まじい、これは幸せ。

雪弥と、繰り返し繰り返し、職場での作業の反復練習。
型を覚えれば楽になる。
今が一番しんどい時。
頑張って欲しい。
目指せ職人!

ひとつ、ちょっとした事件があった。
それも、いいことなのだ。
なんと部屋にクーラーが付いたのだ。
しかも費用を払ったのは雪弥ときている。
甘えん坊だとばかり思っていた雪弥だが、しっかりと成長していたのだ。

七月になった。
雪弥と寝そべる、休日の宵の口。
明日は雪弥の誕生日だ。
食事に何を出そうか、今から迷う。
プレゼントはもう、買ってあるのだ。
新しいiPhone、SIMフリーのモデルだ。
雪弥の使っている携帯はもうぼろぼろだったから、クーラーのお礼も兼ねて奮発をした。

これからも雪弥の色んな顔を、見ていたい、側にいたい。
そう思うから、いつでも仕事を頑張れる。
二人の暮らしだ。
雪弥にも頑張ってもらわねば。
手に手を取って、前に進みたい。
雪弥、君となら、きっと何処までもゆけるーー。
君との季節は、いつでも幸せだ。
結果オーライの人生。
それもいい、君とならそれでもいい。
仲良くいよう、いつでも。
これからも、ずっと。
君との幸せが、僕の一番欲しいものなのだからーー。

[5] おまけ

雪弥の誕生日当日。
ささやかに祝った。
メインイベントは、iPhoneの贈呈。
雪弥、飛び上がって驚いた。
泣いて喜んでくれたから、プレゼントの甲斐があった。
くれぐれも落とさないで欲しい、今の願いはそれくらいのもの。
〆はいつも通り。
たまにはまったりと、いちゃいちゃし合う。
夜更け、裸でベッドの淵に腰かけて、語り合う。
「僕ね、実は小二の頃から裕哉のことが好きだったんだ。裕哉はまだ恋愛に目覚めていなさそうだったから、言い出せなくて。」
驚いた。
そんなにも前から、好きでいてくれていたとは。
「ありがと!」
僕からのお礼、フレンチ・キス。
「そんなんじゃ、だめぇー!」
今度は雪弥の怒りの、ディープ・キス。
「あれ、またするの?」
「えへへー。」
終わりのない夜の、これが始まりだった。
仲睦まじく、いつまでも。
そんな願いを込めての、これが今夜の本当の〆だった。

お・し・ま・い
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