[ NEW ! ] Judgement

Judgement
[MIRUIRO no NICHIJO]

[1] 逆風、そして未来への助走

風が収まらない。
ギャバジンの黒いロングコートの裾が、バサバサと音を立てている。
肌寒い。
十一月、携帯を片手に俺は、ただ惰性で歩を進めていた。

馬鹿だとは思う。
それでも俺は、このアカウントも知らない不確かなメッセージに、残りの人生の全てを賭けてみたくなった。

理屈ではない。
どんな言葉を使ったとしても説明など出来はしない。
俺はただ、あらゆる夢をかなぐり捨ててでも、何としてでも、どうにかしてあの人に逢いたかった。
それだけだった。
俺はあの人からの五年ぶりの長文メッセージを、あの楓の木の下で、ただ泣かずにじっと、見つめていたのだった。

*****

猛、元気だったか?
このメッセージは読まれないかもしれない。
それはわかっている。
ただ俺は、お前が変わらずに元気でやっていることを、心の底からいつでも望んでいた。
五年前、最後の夜に見せたお前の顔を、俺は今でも忘れない。
あの時、俺はお前ではなく、家庭を持つことを選んだ。
下らない理屈で自らをねじ伏せ、歴史を繰り返すことを選んでしまった。
俺のことを信じてくれたお前を裏切り、深く傷付けた。
それでも俺はやはり、根本のところで変われなかった。
お前を、心から求めていた。
だから俺は今日、離婚することにした。
俺はこれからは、自分の気持ちに正直に生きることにする。
対立しているかもしれないと知っていてもなお、俺はこのことを、真っ先にお前に伝えようと思った。
新たな火種になるかもしれない。
それは素直に、詫びたい。
そう、俺は確かにどうしようもない男だが、それでもなお、会って伝えたいことがある。
だから俺にもう一度、お前の顔を見せて欲しい。
明日、日曜日の午後五時、お前と初めて出会った楓の木の下で、もう一度会いたい。
お前の笑顔を、心から待ち侘びている。
逢ってはくれないだろうか、きっと幸せにするから、なんなら新しい彼氏が居るならそいつも纏めて、今度こそ。

*****

待ち合わせの詳しい場所も書いていないメッセージ。
よく見ればそこにあるのは、見覚えのないアカウント。
けれども、俺にはわかる、いや、俺だからこそわかる。
胸が熱くなる。

俺は、啜り泣いていた。
路上で、携帯を片手に肩を竦ませて。
長かった。
これまでずっと、音信不通だった。
メッセージが送れないのだ。
それでもいつかこうした日が来るのではないかという想いを、どうしても心の何処かで諦め切れなくて、俺は携帯は愚かSNSのアカウントひとつも変えられなかった。
俺は未練がましい、情けない男だ。
ただ、忘れない。
あの人の無二の笑顔を、また逢おうねと言ってくれたあの時の眼差しを、俺は決して、忘れない。
だから、希望を、二人の未来への可能性を、完全に消滅させてしまうようなことは、俺には出来なかったのだ。

それからの家路は、長かった。
心の中で、異なる想いが今更のようにぶつかり合い、俺はその絡まった糸を解くための結び目を必死になって探していた。
逢うべきか、逢わざるべきか。
答えは分かり切っていたのに、亀裂が広がる宵の口。
考えてみれば、それでなくても俺には、春希君が居るのだ。
そして、まだまだ夜は長い。
帰宅後も、早く眠りたいのに、この想いを終わらせる術が自分には見つからない。
このまま成り行きに任せてしまえば、嫌でも明日には五年ぶりの対面が待っている。
現実が迫り、焦りは混迷を深める。

ねぇ、何がしたいの、自分。
揺蕩い彷徨うのも運命なら、覚悟を決めるのも運命。
今は何方なのだろう。
見当も付かなくなっていた。

気が付くと、空が白んでいた。
いつの間にか、泥のように眠たい。
午後二時に目覚ましをセットして、一先ず眠ることにした。
ただ、この時には答えはもう、出ていた。
やはりそれはとても俺らしい、馬鹿馬鹿しくも思える程に、真っ直ぐで、しかしぐだぐだな答えだったのだ。

予定通りの、午後二時。
起き抜けにデリバリーのピザを頼む。
Lサイズを二枚完食して、シャワーを浴びることにした。
頭上から迸る温水で、意識が覚醒してゆく。
あの人に、そう、君に、逢いたい。
その想いに、理由など要らなかったーー。

[2] Checkmate

待ち合わせ時刻が近付き、運命の時が迫る。
扉を開けて、ウォークイン・クローゼットの前に立つ。
身震いをする俺。
『今夜は特別だから、特別な服を着て行く事にするよ。』

昔の俺は、服には何の興味もなかった。
お洒落だった君とは違って、身なりには酷く無頓着だったのだ。
或る日、そんな俺に君は、とてもとても高そうな、鳩のワッペンの付いたロングジャケットやボルサリーノの中折れ帽、シルクレーヨンのシャツやウールのカットソー、他にも様々な服や靴を、ひと揃いプレゼントしてくれた。
戸惑う俺にあの人は、こう告げた。
それは、その後の俺の運命を予感させるものでもあった。

*****

俺はお前を愛している。
本当に大好きだ。
出来ることならいつまででも、俺はお前を守ってやりたい。
けれども、これから先もずっと、お前の側に居て守ってやれるかどうかは、正直言って分からない。
自信がない。
だから、俺の居ない時、孤独に負けそうな時、独りで戦わなければならない時、そんな時に、この服を着て、俺のことを思い出して欲しい。
これは俺の我が儘かもしれない。
それでも、この服の持つ特別な力が、俺の代わりに、いつでもお前を守ってくれるよ。

*****

最後の夜のことだった。
君は俺の頭を、優しく優しく、撫でてくれた。

馬鹿な俺は、その時ただはしゃいでいた。
嬉しかった。
感無量だった。
俺は、君の好きだった黒一色のプレゼントを手に、声を上げて泣いていた。
何でもない筈のその日は、俺にとっては特別な記念日になる筈だった。

俺は、今でも大切に保管してあるその服の数々に手をかけた。

それから程なくして、君は結婚して、家庭を作った。
別れよう、結婚したから、それだけのメッセージを残して、君は去っていった。
俺は突然、独りぼっちになった。
元々、家庭など、家族など、自分には関係のないものだと思っていた。
だから俺にとっては、独りぼっちで生きて行くのは、当たり前で仕方のないことの筈だった。

それでも、君と出逢ってから、俺は心の何処かで、君となら“家族”になりたい、そう思っていた。
それは確かに、根拠の薄弱な、我が儘な願いのようなものに過ぎなかったのかもしれない。
でも、どうしても、信じていたかった。
だから俺は、結局何ひとつ君のためになることを出来なかった、何の役にも立てなかった、そんな自分が情けなくて悔しくて、男である自分には何の価値もないような気がして、目の前が真っ暗になって、それでも大好きな君を責めたくなくて、ひたすらに自分を責め続けた。

俺が信じていた未来。
きっと君も、信じてくれていると思っていた。
裏切られたとは、思わなかった。
そんな風には、思いたくもなかったのかもしれない。
それは、最後に残されたほんの僅かな、プライドのようなものだったのに違いない。

ドジで弱虫だった俺は、あれから何度も足掻いて躓いて、何度も涙を流した。
その度にウォークイン・クローゼットの扉を開けて、あの日のプレゼントの向こう側に見える君の幻にしがみついた。
俺の顔を覗き込んで笑う君が見えた気がして、俺はいつまでもその幻にしがみついていたのだったーー。

深く息を吸い、白いシルクレーヨンのシャツを羽織った俺は、鳩のワッペンの付いた黒いロングジャケットのぶら下がったハンガーに手をかける。
ファスナーを開けてカバーを外すと、気のせいかパリの香りがふんわりと辺りに舞った気がして、その色香を届けてくれている気がして、俺は嬉しくなる。

俺、やっぱり、この香り、好きだーー。

ロングジャケットを羽織り、姿見の前に立つと、ごく自然に、背筋がピンと伸びる。
「ねぇ君よ、あれから俺も、少しは身なりに気を遣うようにはなったんだよ。」
黒い服ばかりのクローゼットを前に、俺は静かに語りかける。
そこにはまるで、君が居るかのようだった。
俺の顔を真っ直ぐに見て欲しいから、今日は帽子は被らない。

黒いローファーを履き、玄関脇のカウンターの上に乗る青いオードトワレを頭上に振って、俺の戦闘準備は整った。
服なんて気合いだ、今は俺はそう思っているーー。

軽い向かい風が俺の頬を撫でた。
辺りの空気が、ひんやりと冷たい。
空はだいぶ暗くなっていた。
雲が立ち込めている。
タクシーを降りた俺の脳裏に、次々と不安が過ぎる。

君は今の俺の姿を見て、受け入れてくれるだろうか。
俺は君に似つかわしい男に、なれただろうか。

怖じ気付いた俺は一瞬、引き返そうかとも思った。

けれども。
踏み止まった。
何故ならほんの一瞬ではあるものの、君の昔の笑顔を思い出したから。
懐かしい曲が脳裏を過る。
globeのJudgement。
もう三人揃ってのライブでは決して観られない、だからこそ本当に大切な、大切な曲だ。
そのベースの刻むリズムに乗って、俺のボルテージは最高潮にまで上がる。

逢ってからでも遅くはない。
君の顔をもう一度、ひと目見るまでは帰れない。

そう自分に言い聞かせて、奮い立たせて、俺は再び、待ち合わせの場所へと歩き始める。

程なくして、俺は立ち止まった。
大切だったあの日、君と初めて出逢った思い出の場所。
俺は、その楓の木を前にして、拳を握り締めて佇む。
これからも大切な場所として温めてゆけるだろうか。
どうなるかはまだわからない。
でも、頑張る!

久々の再会だった、言うまでもない。
君の少しも変わらない姿が、俺の背中を力強く押した。

俺は君がかつて言っていた通りで、不器用で頑固な奴だ。
やり過ごせばいいことは流せない癖に、おいしい話には乗っかり損ねて。
そんな風にして、ただ君のやってきたことを、そのまま真似して、追いかけてばかりで。

だから、これまで俺が歩いてきた道のりなど、大したことはないのだ。
瑣末な人生だったと言ってもいい。
今でも、情けなくて、どうしようもない奴なのだ。
思い込みが激しくて期待過剰で、同じ失敗を何度も繰り返して。
しかも俺は、弱虫だ。
そんな現実を綺麗に包み隠してしまう事など、そんな器用な事など、俺には一切出来なかった。

けれども。
それでも今夜俺は、少しでも成長出来たところを、頑張ったところを、残らず、余すところなく見せたくて。
だから俺は、今、ここに居る。
俺の想いは、言葉では何も伝わらないような気がする。

それでも、けれども、もう一度。
自惚れだと、分かり切っていても。
これが最後の恋だと、決めていたから。
この再びの出逢いで、恋は卒業すると、そう決めてきたから。
だから俺は、今の想いを、どうにかして言葉にして伝えなければならない。
かつての恋の清算にあたっての、途方もなかっただろうと思われる服代の分の、それだけの想いなら、俺の心の内には、きっとまだある筈だから。
そう、これが男女なら、とうの昔に結婚をしている仲なのだから。
彼なりの誠意の証。
慰謝料のようなものだったのだろう。
俺達は確かに、愛し合っていたのだ。
だから、俺の全てをかけて伝えるから。
怒らないで聞いていて欲しくて。

俺は大きく、息を吸う。
踏み締める足に、力が入る。

チェックメイト。

そろそろ、覚悟を決めなければならないようだ。

[3] Judgement

突如、雷鳴が轟く。
土砂降りの雨、傘もない。
それでも、怯む理由などない。

俺は、一歩前に出る。
力一杯に叫んだ。
雨音に負けないように。
そして、俺の全てをぶつけた。

*****

俺はあの時も、今でも、君となら“家族”になれるって思ってる!
どうしてかって?
あの時の、出逢った時の、君の弾けるような笑顔を、信じてみたんだよ。
根拠なんてないよ、それだけだよ。
でも、それで十分だろ!

俺は、君のことが大好きだ!

だから俺は君に、ずっと、ずっと、付いていくんだ!!

*****

俺は、肩で息をしていた。
君は、少しも動かず、何も答えない。
真直ぐな眼差しが、俺を突き刺す。

けれども。
何も言わずに見つめる君の瞳の奥に、俺達二人の未来を見たような気がした。
力強い眼差しの奥で、五年ぶりの笑顔を見せてくれた気がした。
だから、もう拒まれても、騙されても、全然構わない。
そう、そんな成り行きだったから俺は、返事も待たずに抱き付いて、君の“笑顔”にキスをした。

風が、止んだ。
辺りに響き渡る、雨音。
俺も君も、ずぶ濡れだった。
はち切れそうな、俺の心。
答えを待つ、俺。

次の瞬間、見る間に空は晴れ渡り、目の前の顔が綻んで、俺達の未来への扉が、力強く開いた。
その笑顔を見て、もう一度、俺は心から、この人なら、君のことなら信じられる、そう思った。
君の笑顔のためなら、全てを擲っても構わない。
目の前には、愛する人の堪らない笑顔。
その向こう側に続く広く長い道を、二人で歩く姿が、俺には今、はっきりと見えた気がして。

俺は、いや、俺達は、本当に幸せだった。

[4] The Beginning of the End

びしょ濡れの俺達。
人目もあるので、改めてこの場で抱き締め合う気にもなれなくて、許しを得て、今日から住み始めたという君のサービスアパートメントに向かうことにした。
途中、ワインやチーズを買って酒盛りの準備。
俺の好物はピザ。
Lサイズを四枚、これで二人分。
サービスアパートメントは家賃が高いので、早く越したいのだと言う。
無理もない。
都内の1LDK、サービスアパートメントの相場からすればまずまずなのだが、それでもやはり高いことには違いなかったからだ。
新居はすぐに見つかった。
お詫びの気持ちも込めて、君がローンを組んでくれることになったのだ。
俺も家電や家具の新調、食材の調達、料理に掃除、何でもやる。
当然のことだ。

いつまででも幸せで居たい。
だがゲイなのである。
それはなかなか叶わない。
それでも出来得る限り寄り添っていたい、そう思う自分はまだ人間だと、そう心から信じていたいのだ。
それが俺に残された、最後の矜持なのだから。

あの時の、出逢った時の君の笑顔を信じている。
だから付いていこうと決めた。

これから先ゲイ同士、誹謗や中傷を、真っ向から受けることもあるかもしれない。
覚悟は出来ていた。
それでもきっと君となら、幸せになれる気がする。
思い込みかもしれない。
でも、それでいい。
結構それで上手くいくものだ。

翌朝。
昨日のいっときの俄雨が嘘のようで、この時期ならではの凛とした、抜けるような青空にうろこ雲が彩りを添えていて、遥かな思いを抱いた。
大丈夫、きっと上手くいくーーそんな想いがある内は、結構大丈夫だったりするのだ。
君よ、ありがとう!

[5] Conclusion

新居は東京郊外の一戸建て、4LDK、新築。
先日、同居人がひとり転がり込んで来た。
春希君だ。
実はそのことで伊知郎さんを説得したのも、春希君を呼んだのも、僕なのだ。
一つ一つの部屋は小さいが、部屋数が多いので、ひとりひとつずつ部屋が持てる。
実のところ俺は不器用だから、そんなに簡単には春希君を嫌いにはなれなかったのだ。
春希君、僕とは親友で居られればそれでいいようで、三人の共同生活は上手くいきそうだ。
尤も、春希君も相当我慢してはいるのだろうが。
三人仲良く、それが僕が今、一番に誓っていること。
二人を愛した僕なりの、これがけじめ。
ただし、春希君とは寝ないことにした。
何があってもだ。
ハグやキスくらいならと、その辺りのことは伊知郎さんからOKが出た。
この関係、ふしだらかもしれないが、本当に上手くいきそうな気がしているから、不思議だ。

ひんやりとした空気が心地いい、小さな庭。
小ぶりな椅子に三人腰かけて、紅茶を嗜む。
君達となら、望むところだ。
側に居てくれて、ありがとう。

-The END-
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