紫蘭、花吹雪 [恋を紡ぐ人 外伝 1]

悔しくて、悲しくて、泣き叫んだ。
幼い頃の紫蘭は、火事で最愛の母を亡くしていた。
最後に聞いた言葉は、「苦しい、苦しい」というものだった。
それはまさに、地獄絵図だった。
出火の原因は、父による煙草の不始末。
それなのに、愛する母の方が亡くなってしまった。
それも酷く惨たらしく。
それまでの紫蘭は、可憐な甘えん坊だった。
だが、火事を境に人格や表情までもが一変した。
行き場のない父への恨みは、習い始めたばかりだった魔法へと残らずぶつけられた。他にどうする事も出来なかったからだ。
元来飛び抜けた素質を持っていた紫蘭はその時から、ぐんぐんと実力を伸ばし、諸先輩達を軽々と追い抜いてゆくのだった。
大きな不幸が、紫蘭の中に眠っていた反骨精神に火を点けたのである。
父を殺めようとは、ただの一度も思わなかった。
そんなくだらない事で己の人生の幕を閉じようとは、どうしても思えなかったからである。
そう、紫蘭と父の仲は、昔から不和だったのだ。
それだけに、中学を卒業するまでの紫蘭は、家では忍耐を強いられた。
父娘で小さなアパート暮らし、家事は全て紫蘭の担当。
母が居なくなってからの父は、酒浸りで、紫蘭には僅かなお金しか渡さなかった。
魔法の道場の月謝などのお金は、紫蘭が学校に内緒で年齢を偽って掛け持ちしていたアルバイトの給料で支払っていた。
そうした状況だっただけに、高校進学などはハナから考えられない事だった。
紫蘭は決めていた。
中学卒業と同時に魔法で生計を立ててゆくと。
その時から紫蘭はそう、まさに紫に輝く蘭のように大きく美しく羽ばたいてゆくのだったーー。

ある暑い日の夜の事。
紫蘭は、昔の思い出を振り返るような夢を見ていた。
寝室が暑くて寝苦しいので目を覚ました紫蘭は、リモコンを手に取ると冷房のスイッチを入れた。
これでようやく眠りに就けると思って、再び横たわる紫蘭。
この頃紫蘭は、人に無害な蛇を飼っていた。
泗水のミニブタ・オース同様に魔法を使えるので、決して可愛らしい見た目ではなかったが、紫蘭はこの蛇を溺愛していた。

翌朝。
紫蘭はいつも着物を身に纏う。
少し着崩すのがポイント。
長い紺の髪を纏めて、化粧をする。
愛用のキセルをふかし、蛇を首に巻いたら支度は完了。
出入りの弟子の見送りを受けると、ヴィンテージ物のジャガーEタイプに乗り込み、自らステアリングを握る。
この車、古いが状態は極上と言っていい。
神様と契約している魔法使いの給与は皆同一であるが、師匠だけは異なる。
抱えている弟子の数によって変動するのだ。
そもそもの固定給からして、少し高い。
もちろんその分だけ責任も大きい訳だが、この制度のお陰で紫蘭はお金には困っていなかった。
紫蘭の弟子は数多いからである。

首都高速を飛ばす。
若干の速度オーバー。
急いでいるのだ。
この日は神様も出席する、師匠同士の懇談会。
遅れる訳にはいかないのだ。
いつも朝の身支度に時間が掛かり、慌てるのである。
もっとも、当人の顔は至って涼しい表情そのものなのだが。

会場のパーキングで。
泗水の師匠と顔を合わせる。
泗水の師匠はフィアットパンダに乗っていた。
質素な生活だが、暮らしていけなくもない。
「よう、どうだ!最近、調子は!」
紫蘭が泗水の師匠に声を掛ける。
「紫蘭姐さんからの紹介でやって来た紀章君、今一人でやっているよ。まだまだ心配だから、一応僕の弟子という事にはなっているけれどね。お陰でお給料が増えて助かっているよ。いい子を紹介してくれて、ありがとう。」
握手をする二人。
盟友なのだ。
二人共、男好きでもある。
実は泗水の師匠、冴えない容姿ではあるが長年に亘って、美人でその名を世間に轟かす紫蘭に、愛されていたのだ。
もちろん紫蘭も泗水の師匠がデブ専ゲイである事は知っていたから、その想いはずっとずっと、胸の奥底にしまっておいたのだった。
ちなみに泗水の師匠自体は、別にデブではない。
むしろスレンダーで、そうした所も紫蘭の好みだった訳である。

懇談会を終えた後、紫蘭は久しぶりにオースの手料理が食べたいという。
そこで泗水の師匠も同行して、泗水の家でパーティーを開く事になったのだ。
急に慌ただしくなったのはいうまでもなく、泗水の家である。
グランドマスターなので泗水は師匠と同格ではあるのだが、弟子が居ない為に今回の懇談会には呼ばれていなかったのだ。
だから家に居たという訳だ。
タイムリミットは一時間とちょっと。
幸い、食材は買い置きがある。
食いしん坊揃いなだけに買い置きの食材の量が多くて、助かった。
メニューは、手捏ねハンバーグにエビフライ、カニクリームコロッケにピカタ、クラムチャウダーにマリネ。
全部オースの手作りである。
幸か不幸か浩司さんはこんな時に限って、仕事で帰宅が遅い。
帰って来たらチャーシュー入りのラーメンでも作ってあげようと思う、ミニブタ・オースなのだった。

紫蘭と、泗水の師匠の昔話。
泗水の師匠、昔は紫蘭の弟子だった。
歳は紫蘭の方がだいぶ若かったのにである。
泗水の師匠、遅咲きだったのだ。
人は彼を、時に嵐山と呼ぶ。
いわゆる、通り名である。
冴えない容姿のせいで相変わらず好きな相手からは相手にされない日常。
そこを偶然通りかかった紫蘭が、嵐山の才能を一瞬で見抜いて、弟子にした。
ちなみに、紫蘭というのは本名だ。
通り名で名乗らないのは、この世界では珍しい。
本人が気に入っているのだ。
嵐山の才能をいち早く発掘して評価したのは、紫蘭だ。
嵐山の正式な独立を神様に認めさせたのも、紫蘭である。
独立してしまえば嵐山と顔を合わせる機会が減るのに、あえてそうした。
嫌いになった訳ではない。
仕事に私情は挟まないのが、紫蘭流なのだ。
紫蘭が嵐山を好きになったきっかけは、次のようなものだった。
ストーキングの上、相手の女の子を誘拐するに至った犯人を、紫蘭と嵐山は追っていた。
追い詰めたのだが、一瞬の隙をついてその犯人、紫蘭の胸をひと突きにした。
まだ若かった紫蘭、甘かったのである。
結局その男は嵐山が捕らえた訳であるが、可哀想なのは紫蘭だ。
息も絶え絶え、見るのも辛い。
嵐山はここで危険も顧みずに、自らの力を紫蘭に注ぎ込んで傷の治癒に全力を注いだ。
これで紫蘭は助かったのだが、力を使い果たした嵐山、犯人を警察が捕らえた時には既に、意識はなかった。
それは一時的な事で、やがて嵐山は意識を取り戻すのだが、その時、紫蘭は嵐山を抱きかかえて号泣した。
それ以来、紫蘭は嵐山の事を密かに、愛しているのである。
胸には、いまだにその時の傷跡が残っている。
それだけの深傷だったのだ。
嵐山、本当に命懸けだったのである。

その嵐山、昔は恋多き男だった。
捨てられるのはいつも嵐山の方。
追い掛けて、追い縋って、蹴散らされて。
そんな事の繰り返し。
ストーカーになった事もあった。
悪評も、散々立った。
だから、恋愛で失敗を繰り返して来た泗水の気持ちが、手に取るように分かったのだ。
今は嵐山、すっかり落ち着いている。
交際相手は居ない。
だが、もういいのだ。
もう、燃え上がるような恋には興味はなかった。
そんな歳ではないし、男には散々足蹴にされて来たから、もう未練はない。
達観しているのだ。
それにそんな者は居なくても、紫蘭の想いがすぐそこにある。
彼女の事は、恋愛対象としては見られない。
だが、もっと大切な存在だと、今ではそう思っている。
いわば“家族”なのだ。
その想いは、紫蘭もまた同じである。

紫蘭と嵐山が、泗水の家に到着した。
お出迎えは、泗水ではなく、あえてのオース。
コック帽を被って、気合いも十分。
ここでオース、挨拶の代わりに二人に鼻押し。
「あらあら、こんなとこで甘えてんじゃないよ。早く美味しい料理を食べさせておくれ。こっちはお腹が空きすぎて背中にくっついちまいそうだよ。」
紫蘭、そう言いながらもオースの鼻を撫でる。
オース、この家のマスコットキャラクターなのだ。
泗水も登場。
「いらっしゃいませ、紫蘭姐さん、師匠!」
「ますます横にワイドになったな、泗水。」
泗水、師匠に痛い所を突かれた。
ここで紫蘭、本当に珍しく、泗水のフォローをするのだった。
「あら、元気そうでいいわよ。私は興味ないけど。」
フォローをしながらも、ちょっとばかり腐してくるのが、いかにも紫蘭らしい。
そんな中でも無条件で褒めるのが、オースの手料理だ。
「やっぱり美味いな。オース、これは天才だぞ。人間なら確実にシェフになれるな。」
今にもはしゃぎ出しそうな程に嬉しそうなオース、端で見ている泗水までもが嬉しくなってくる。
ここで紫蘭、一呼吸を置いて深刻な話を始めるのだった。
場にはそぐわないが、急を要するのだろう。
紫蘭は、場の空気を壊してまで急用でない話をするような、デリカシーのない人間ではない。
それはその場に居たみんなが分かっていた。
そこへ偶然、紀章がやってきた。

「パーティーっすか。僕を置き去りにして。楽しそうじゃないですか。」
恨めしい目つきの紀章。
だがこれは、流石の紫蘭が、ピシャリ。
「別にあんたをのけ者にしようとした訳じゃないよ。仕事と聞いていたから呼ばなかっただけだ。余計な詮索はお止め。ちょうどいい。お前も聞くといい。話があるんだ。」
納得の様子でその場に腰を下ろす、紀章。

紫蘭が語り出す。
「私の女の従姉妹に悪い奴が居てね。人の恋路をことごとく邪魔立てするんだ。うちらの商売あがったりだろう。これまでは肉親だけに大目に見て来たが、我慢にも限界がある。すでに恋の望みを絶たれた事で自殺者も出ているからな。事は急を要する。今回は容赦はしない。みんな、協力してくれるな。」
そういう事なら、という訳で、一同はこぞって力を貸す事を約束する。
「はいっ!この紀章、全身全霊を込めてお力になります、微力ではありますが。」
「紫蘭姐さん、この泗水にもぜひ協力させてください!」
「僕も協力するよ。でもこれは紫蘭だからする事。特別だからね。」
その嵐山の言葉に、普段は頑丈な筈の紫蘭の涙腺が耐えられなかった。
「ありがとう、みんな、、、。」
その後よくよく話を聞いてみると、紫蘭姐さんの従姉妹、神様とは契約をせずに全国を放浪している魔法使いで、気配と声、さらには姿までをも完全に消せる事から、並の魔法使いでは見つけるのも困難なのだ。
それどころか、姿を消した大抵の同業の魔法使いなど、その気配で逆に簡単に見つけてしまう。
実の所、神様もどうすべきか、思案している所らしい。
普通、こういった事にはあまり干渉しないようにするのも、神様の大切な役目なのだが。
どうなるか。
予断を許さないのだった。

ここで泗水が動いた。
相棒のオースを連れてである。
精進を欠かさない泗水、オースの瞬間移動のトレーニングと共に、オース共々気配を完全に消す事、そしてオースと念でこれまでよりもよりスムーズに内密に話す事を習得していたのだ。
泗水もだが、オースは特に良く頑張った。
瞬間移動の指導者としてはまだまだな泗水だけに、紫蘭の教え、そしてオース自身の根性と頑張りがなければどうにもならなかった。
だからこの頃時々、特に甘えん坊になるのである。
オースなりに、ストレスは強く感じていたのだ。
消える泗水とオース。
慌てて後を追う紫蘭。
瞬間移動で、二人と一頭は紫蘭の従姉妹の眼前に突如現れた。
正直、この時の紫蘭は、従姉妹を消滅させる気でいた。
だが、敗色濃厚となった今、従姉妹は大声で、それも子供のように泣き始めた。
彼女、何度も悲恋を経験して、挫折していたのだ。
ホストに散々貢いで捨てられた事、相手の男の将来を信じてヒモを匿った挙句に捨てられた事、奥さん持ちの相手とそうとは知らずに関係を持って、裁判を起こされた事、純愛で包んであげていた相手に八又をかけられていた事……。
もちろんその他にも失敗は、枚挙にいとまがないのだ。
彼女、どうもカモられやすい体質のようなのだった。
人の恋路の邪魔をするのは、妬ましいから。
ここで泗水、特別に長くて太い太い、しっかりとした赤い糸を、その場で紡ぐ。
特殊な念を込めたので、簡単にはほどけない。
泗水、片方を従姉妹の指先に結び、もう片方を誤解から捨てられてしまった悲恋の相手の指先にしっかりと結ぶ。
糸にオースのおならをかければ、準備完了。
オースのおなら、鍛錬の成果で、赤い糸にかけると関係がほっこり長続きするようになったのだ。
ちなみにやはり、ちょっと臭う。
荒唐無稽とも言える話だけに、簡単には信じない従姉妹。
だが、幸せはすぐに訪れた。
かつて捨てられた相手から、その場で告白を受けたのだ。
固く固く抱き締められる、従姉妹。
これで二人は幸せになれるだろう。
紫蘭もとても嬉しそうだ。
良かった。

それにしても、くたくたなのはオースだ。
おならだけならまだしも、瞬間移動はまだ慣れていないだけに、少し辛いのだ。
これまでの瞬間移動の鍛錬による疲労とストレスも大いにある。
むしろそちらの方が遥かに大きいかもしれない。
ともあれそれらのせいで、息がぜいぜい言っている。
これは大変だ。
師匠・嵐山の友達が経営する動物病院で、各種検査を受ける。
泗水は正直、気が気でなかったのだが、検査結果は単なる疲労の蓄積だった。
まだ瞬間移動は覚えたて、やはりオース、疲労のピークにあったのだ。
しかしたかが疲労とはいっても、馬鹿には出来ない。
お医者さんには半月の静養を命じられた。
その間のお料理担当は泗水。
泗水、料理は作れない事もないのだが、有り体に言って美味しくないのだ。
もともとミニブタは草食に近い雑食との事なのだが、人間の食事に心も体も順応し切った特殊なミニブタ・オース、例えばミニブタフードといった類いのものは、今更食べてはくれないのである。
で、いつものおやつの切ったリンゴに加えてメロンも与えてみる。
これは嬉しそうだ。
や、これはもしかして、元気になったらまた餌代が上がるのか?
そう思い、泗水は眉を顰める。
だがまぁ、仕方ないか。
無事だっただけでも良かった。
そうなのだ。
それだけでめっけもんなのである。

泗水、この頃思うのだ。
紫蘭と師匠・嵐山、何とかならないものだろうかと。
しかしこの件で弟子があまりでしゃばるのも、考えものだ。
どうしたものか。
そう思っていると。
いつの間にか隣にいた師匠・嵐山に、考えている事が筒抜けだった。
「大丈夫。心配は要らないよ。今のままで十分だよ。お互い、先輩と後輩でもあるし、家族みたいなものでもあるんだ。でも僕はデブ専ゲイ。たとえ誰にも相手にされなかったとしても、自分の気持ちには正直に生きたい。手出しは無用だよ。」
別につっけんどんな訳でもないのだが、それにしてもこれでは取りつく島もないような。
紫蘭にしても、プライドの高い人間だから、泗水の魔法になど、頼りたくもないだろう。
せめて一緒に住めばいいと思う泗水、一計を巡らしてみた。
色恋沙汰や性的接触は起こらないが、事実上の家族として生涯共に居られる、そんな特殊な赤い糸を紡いでみたという訳。
この糸を紡ぐのは二度目だ。
一度目は上手くいった。
今回とはまた違ったケースで、簡単に言えば老いらくの恋の話だった。
もう手を繋ぐ事さえもなくても、二人がしみじみと幸せそうだったのを、今でも覚えている。
年老いた丸い背中が、二つ。
静かに、和やかに、並んでいるのだった。
今度は上手くいくだろうか。
まぁ、やってみるしかない。
そういえば恋愛関係ではなく肉親だとか相棒だとか親友だとか、そんな関係ではあったのだが、泗水とオースにしたって、初めてお喋りした時にはオース、敬語を使っていたのだ。
紫蘭と嵐山にしたって、時間が解決してくれる問題も、きっとあるだろう。
この赤い糸、師匠・嵐山に結ぶのは簡単だった。
実は嵐山、気付いてはいたのだ。
だが、その赤い糸の持つ力と意味を知って、黙って受け入れたのだった。
紫蘭と生涯の友になろう、そんな心境だった。
そう、友なのだ。
親友にならもうなっているのだから、生涯の友になるのも、容易いだろう。
で、もう一方の紫蘭にも、企みはすぐに気付かれてしまった。
泗水、流石に怒られると思った。
だが、紫蘭は紫蘭で、いつにも増して優しかった。
これが師匠をヘテロセクシュアルにする魔法だったら、泗水、決して許されなかったに違いない。
家族として共に末長く暮らす、紫蘭もそこに可能性を見出したのだと、泗水は思った。

翌月。
二人は結婚をした。
泗水やオース、紀章や紫蘭の弟子たちを呼んで、こじんまりとした温かみのある結婚式を行なった。
嵐山はバイセクシュアルではない。
純粋なゲイだ。
二人の間での性交渉や、嵐山から紫蘭へと恋愛感情が溢れ出すといった事は、やはりなかった。
だが、温かい温もりがそこにはあった。
不倫の心配はなかった。
紫蘭、意外と嫉妬深い所があるから、浮気者が相手だったなら、大変だったろう。
だが、嵐山は立ち回り方が下手だった事による数々の失恋で、狭いゲイ業界からは爪弾きにされていたから、そこには最早何の期待もしてはいなかったのだ。
不倫の心配など、当然ない。
程なくして、紫蘭の家で同居を始めた二人。
そこに恋はないが、肉親としての愛なら、確かにある。
穏やかな幸せに包まれて、二人共きっと本望だったろう。
想いの始まりから月日を経て、紫蘭の感情が少しずつ、恋から愛へと変化していった事も、今回の成功の大きなポイントだ。
寝室も別で、手さえも繋がない二人だが、幸せは確かにあるのだ。

なぜ出会ってしまったのだろうと後悔した日々も、紫蘭にはあった。
そうした日々も、この日を迎えるにあたっては、必要不可欠なものだったのだ。

仕事面での心境の変化は、二人共ごく僅かなものだった。
紫蘭は相変わらず厳しかったし、嵐山は相変わらずマイペースだった。
紫蘭程の存在になれば現場には出ないという選択肢もあったが、紫蘭はそれを選ばなかった。
ある午後の森の中。
怪しい風体の男の後をつける紫蘭。
実はこの男、紫蘭の弟子を強姦しようとした過去を持つ。
まだ甘かった当時の紫蘭、男が土下座しながら泣いて許しを乞うので、一度限りの約束で放免としてしまったのだ。
その後、監視は続けていたのだが、今日は危ない。
性欲に絡め取られて己が見えていないのが、紫蘭には手に取るように分かるからだ。
前方には男子中学生。
学校からの帰宅途中、近道なのだ。
ここで襲いかかる男。
紫蘭、すかさず必殺技を繰り出す。
「東上紫蘭、花吹雪!」
この技は過去に何度か使われている。
相手を素早く消滅させる為の技の一つ。
世界には同じような技は幾つもあるが、どれも師匠格の魔法使いにしか許されていない技だ。
一旦消滅させてしまうと、元に戻す事が出来ないからである。
紫色の蘭の花びらに覆われて、消える男。
ちなみに東上紫蘭とは、紫蘭のフルネームである。
早速、男子中学生に声を掛ける紫蘭。
突如襲われたので怯えた様子だったが、すぐに元気な顔を取り戻した。
「お姉さん、助けてくれてありがとう。首に巻いている蛇、凄いね。」
「ああ、こいつかい?海龍といって、私の相棒さ。この道は危ないから、もう通るんじゃないよ。気を付けてお行き。」
「うん!さようならー、またねー!」
海龍、戦闘に参加する事はあまりないが、怪しい気配には紫蘭以上に敏感なので、大変重宝されている。
今回の事件でも、男の急変をいち早く察知してくれた。
紫蘭にとっては、欠かせないパートナーなのだ。

泗水、紫蘭姐さんから敵を消滅させるのに必要な技を習得した。
この手の技は掟で厳に管理されており、師匠格の者にしか使えないようになっている。
泗水はグランドマスターになったから、弟子が居なくともこの条件を満たすのだ。
初めて習得した消滅魔法の名前は、泗水・蘭月斬。
蘭の一文字が入っているのは、泗水たっての希望である。
日本でも屈指の大魔法使いの威光を借りようという訳である。
泗水、こういう所は、抜け目ないのだ。

泗水がグランドマスターになっても、師匠・嵐山との師弟関係は消えない。
これは泗水が強く、強く、希望したからだ。
大変珍しいパターンではあるが、特に掟で禁止されている訳でもないので、大きな問題にもならずに認められた。
結婚した二人がそうであるように、泗水にとっても紫蘭姐さんや師匠・嵐山は、肉親の居ない泗水にとってはいわば家族なのである。

サンルームのロッキングチェアに揺られてうつらうつらとしている嵐山。
その横では、紫蘭が編み物をしている。
意外に思うかもしれないが、紫蘭、手先は器用なので、こういった女らしい作業もちゃきちゃきとこなす。
心温まる光景。
そこへ。
「ピンポーン♪」
インターホンが鳴る。
オースが泗水を連れてやって来たのだ。
「あらオース、泗水。どうかしたのかい?」
「僕お手製の、自家製芋羊羹!たくさん作ったから、おすそ分け!」
オース、二本足で立って胸を張る。
背中が丸いのは、いつもの事。
「まぁ嬉しいよ。私もうちのも、大好物なんだ。お上がり。お茶、淹れてあげる。」
「はーい!お邪魔しまーす!」
賑やかなおやつの時間。
その様は、一家団欒を思わせる。
いつにも増して会話が弾む、一同。
幸せは、まだ始まったばかりだ。

-完-

「恋を紡ぐ人」第六弾。
ここでは紫蘭姐さんにスポットを当ててみました。
首に蛇を巻いているのがチャームポイント。
冴えない嵐山に恋をした美人の紫蘭姐さん、蓼食う虫も好き好きという事で。
ジャガーEタイプは、個人的に好きです。
到底乗る事は叶いませんが。
紫蘭姐さんは運転はとても上手いです。
この点でも、嵐山は紫蘭姐さんには到底叶いません。
だいぶ長くなってきましたが、まだもう少しだけこのシリーズにお付き合いください。
何はともあれお楽しみ頂けましたら、この上ない幸せです。
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