恋を紡ぐ人 5 [オースの詩]

地面を踏み締める。
銀杏並木の枯れ葉が崩れて、パリパリと音を立てる。
晩秋の爽やかな晴れ間。
オースとの散歩も、一段と楽しい。
「泗水、今日は空気が清々しくて気持ちがいいね!」
「そうだね。今日は公園まで行ってみようか。」
道すがら、口論をしている二人に出くわす。
マンションのエントランス前で、男性二人が言い合っている。
姿をそっと消して、オースと共に様子を伺う事にしたのだが。
どうも、浮気をした、していないといった事で揉めているようだ。
よくある話ではある。
だが、仕事柄放置する訳にもいかない。
しかし珍しい事にオース、乗り気ではないのだ。
「泗水、行こう。」
そう言ってその場から去ろうとするオース。
こんな事は滅多にないだけに、あの二人、何かある。
でもこのまま去るのも仕事の放棄だ。
やはり、それは出来ない。
そう思った。
だが、この時のオースの声には、もっと真剣に耳を傾けるべきだったのかもしれない。
オースはちゃんと覗いていたのだ。
目の前の二人の頭の中を。
迂闊だった。
この後オースはとても可哀想な事になる。
そうとも知らずに、そうっと近付いてみると。
何とそれは、僕達と同業者同士のカップルの言い合いだったのである。
これは厄介だ。
姿を消していたのだが、案の定気付かれる。
後の祭りだ。
「心配してくれてるんだろ。だったらそのブタよこせ!」
口論をしていた片割れがそう言って、オースを連れて去ってしまった。
もう片方も、僕には目もくれずに去って行ってしまう。
「待ってよ!オースを返して!」
僕がそう言うと、「嫌だね」と、そんな声が遠くから聞こえた。
幸い相手の脳内を覗く事で、これから先進むルートはトレース出来ている。
瞬間移動で泥棒の真正面に出た。
「オースを返せ!そっちがその気なら、紫蘭姐さんに仲裁を頼んでもらう。覚悟しろ!」
そう、目の前に居たのは紫蘭姐さんの弟子なのだ。
向こうがこちらの事を知らなくても、こちらは知っている。
まぁ、先程近くで顔を確認して、初めてその事に気付いた訳なのだが。
とはいえだからこそ、もっと気を配るべきだったのだ。
グランドマスターの称号を得たのだから僕が仲裁をしても良かったのだが、紫蘭姐さんの弟子を無断で裁くのには憚りがあった。
「ちぇっ。仕方ねぇ。返してやるよ。ほら。」
そのまま返してくれるのかと思いきや、泥棒なんと、持っていたナイフでオースの背中を切り裂いた。
幸い傷は深くはなさそうだったが、これは許せない。
激しく痛がるオース、その場で呻きながらのたうち回る。
これはあまりにも可哀想だ。
僕は即座に紫蘭姐さんを呼んだ。
紫蘭姐さんの対応は苛烈だった。
泥棒も、ここまでの対応は予想していなかったに違いない。
紫蘭姐さん、泥棒を消滅させたのだ。
そう、師匠にだけ許された、特権のような技を使って。
そもそもこうした技は滅多に使われる事はないが、オースを傷付けたのが泥棒にとっては敗因だった。
オースの傷は僕が魔法で治してやった。
大きな怪我でなくて、本当に良かった。
あまりに深傷だと、魔法ではまず治せないからだ。
オースと僕、そろって号泣していた。
珍しい事にオース、泣き止まない。
僕の判断ミスも大きかった為に、心がズキズキと痛む。
咽び泣くオースの背中を僕は、辛抱強く摩り続けていた。
「うちのがすまなかったね。お茶でもするかい?」
紫蘭姐さんのお誘いで、僕達はその家にお邪魔する事になった。

オリエンタルな内装がお洒落な応接間。
仔細に眺めると築年数は経っているようだったが、リノベーションが上手くいっているせいか、ぱっと見ただけでは時間の経過を感じない。
それにしても紫蘭姐さんの家ともなると、応接間が必要なのだ。
来客が多いのだろう。
うちとは大違いだ。
「オースを傷付けた奴は、浮気されていたのさ。寂しかった所へ可愛いオースがやって来たもんだから、格好の獲物になっちまった。浮気していた方も消滅させたから、これで安心だ。あの二人は昔からうちの中でも際立って素行が悪かったので、手を焼いていたのさ。正直今回の事件も、意外でも何でもなかった。すまなかったな。さ、お手製のココア、お飲み。」
温かくて甘いココアが、喉にも心にも優しい。
普段は近寄りがたいオーラを出している紫蘭姐さんだが、こういった時には優しいのだ。

昔、こんな事があった。
オースが大人になったばかりの頃。
例によって失恋のショックで、僕は立ち直れなくなっていた。
そのせいでオースにさっぱり構ってやれず、トイレの掃除さえも出来なかったのだが、怒ったオース、鼻パンチを繰り出して来たのだ。
大きい上に力も強い。
しかも、魔法だって使えるオース渾身の鼻パンチだ。
僕は吹っ飛んだ。
子ブタ時代に一応、鼻パンチはしないように躾けてはおいたのだが、我慢の限界だったのだろう。
オースは叫んだ。
「男なんていつか見つかる!泗水は僕とその男、どっちが大事なのさ!」
オース、号泣していた。
先の背中を切られた後の様子を思い出す。
雷に打たれた気がして、僕は呆然としながらただオースを、抱き締めていた。
ミニブタは人懐っこいが寂しがり屋なのだ。
それを分かってやれなかった自分が、愚かだった。
僕は泣き止むまで、オースの側を離れなかった。
それ以来、恋愛の事は心の奥底に封印して、僕はオースのお世話と仕事に没頭した。
以降、浩司さんと出逢うまでの何年もの間、恋愛とは無縁だったのだ。
痛みを乗り越えて、今のオースとの絆があるのだ。

「ねぇ泗水、僕がオスだからオースだっていうのは分かるけど、メスだったらどうしてたのさ。」
「メース。」
すかさず繰り出される鼻パンチ。
まぁここは本気ではないのである。
鼻押しに近いかな。
ジョークにはジョークなのである。
じゃれあっているような、そんな感じ。
「メースか。面白いね。ところでうちの弟子に志願したデブ専のゲイの子が居てね、見込みはあるんだがうちのカバーするジャンルではないんだよ。そっちで引き取ってもらう事にしたから、泗水、お前が教育係になれ。追ってそちらの師匠からも話はあるだろうが。」
僕は弟子を取らないが、それは能力もないのにやって来る若者達ばかりだからで、師匠や紫蘭姐さんからの指示ともなれば、もちろん話は別だ。

という訳で、後日。
やって来たのは新弟子の紀章。
丸いのである。
以上、みたいな。
そんな第一印象。
「よろしくお願いします、先輩!」
礼儀正しい。
うむ、いい子だ。
基礎的な訓練は既に物心ついた時から積んでいたようなので、早速透明化して一緒に街を徘徊する。
事態は突如、動いた。
女の子が泣きながら走り去ってゆく。
何かと思って女の子の頭の中を覗いてみると、深刻な事情があるのが確かに分かった。
女の子の交際相手が同性の男の子と物陰でキスをしていたのだ。
これは泣くだろう、という事。
それ以上に危ないのはもちろん、キスをしていた男の子二人なのだが。
ここで紀章、女の子の頭の中の、今しがたのキスに関する記憶をすかさず抹消する。
さすがは見込みがあるだけの事はある。
ナイス判断だ。
ひとまず時間は稼げた。
そんな訳なので、まずはキスをしていた男の子達と話をする事にした。
ここで実体化をする僕とオースと紀章。
目の前には男の子達。
ぽかんと口を開けている姿が間抜けで面白いが、事態はそれどころではない。
ひとまずの危機は回避されたものの、問題の火種はまだ燻っているのだ。
男の子同士による浮気とも取られかねないこの事態、放っておくのもまずい訳で。
僕は早速、女の子の交際相手に事情を聞く。
「ねぇ、さっき通りすがった女の子とそこの男の子、君はどっちが好きなの?」
ここで出て来たのは、なんとも煮え切らない返答。
「どっちも好きっていうか、一人になんて決められないっていうか、そんな感じです。」
横では、相手の男の子が失望を隠せないでいる。
当たり前だ。
僕は男の子二人から互いに関する記憶と情報を全て抹消する事にした。
これで二人は付き合う前の状態に戻った。
その上で僕は女の子とその交際相手とを、しっかりとした太くて長い赤い糸で結び直す。
基本的にはゲイの子達の恋愛を応援している僕達であるが、彼はバイセクシュアルだ。
何も困難な道を無理して歩く必要もあるまい。
問題は残されたゲイの男の子だ。
これはちょっと可哀想だ。
ここで紀章、男の子の好みのタイプを探る。
紀章、これは即戦力だな。
僕は男の子と喋りながら時間を潰す。
ふと通りすがりに、まるっとした好青年を見かけた。
ここは紀章に任せよう。
紀章、頑張っている。
二人はどうやら、無事に結ばれたようだ。
良かった。
紀章とはこれからも少しの間は行動を共にする事になろうが、もう一人前といってもいいだろう。
僕と同じように、師匠の元ですぐに独り立ちをするに違いない。

さて。
紀章、一人暮らしをしている。
始めたばかりだというのだが。
お誘いを受けたので行ってみる事にした。
で、である。
まぁ汚い。
お茶をするはずがお片付けになってしまった。
こんな時だからこそ、体力のあるオースが側に居てくれる事は本当に助かる。
「オース、ありがとね。今夜はステーキにしようか。とびっきりの美味しいお肉、買ってこようね。」
「やったね!さすがは泗水、分かってるぅー!」
と、そこへ。
「そのミニブタのオースくん、可愛いですね!僕にくれませんか?先輩!」
なんとまぁ、厚かましい!
図々しいにも程があるというもの。
先輩と言われようがどうしようが、オースを手放す気はさらさらないので、ここは丁重にお断りしておく。
オースも同じ気持ちで居てくれたようで、こちらとしてもとても嬉しかった。
一方の紀章は、これ見よがしにがっかりしている。
まぁでも、僕とオース共通の友達にならなれるさ。

で、この日は紀章の手料理を頂く、筈だったのだが……。
じっと紀章の手元を見ていたオース。
危惧を覚えたらしく、飛び入りで料理に参加する。
殊更に不満そうな紀章。
だが、結果からするとこれで良かったのだ。
出てきた料理は、一応食べられるものばかり。
普段のオースの冴えがないのは、紀章があまりにも下手だったからだ。
軌道修正も大変なのである。
まぁ出てきたメニューは確かに幾つかあったのだが、その中でもメインのステーキなんて、そもそも肉を焼くだけなのだが。
これは一体、どうした事か。
どれもこれも、オースのお陰で何とかなりました、といった風情の料理ばかり。
それも、メインのステーキまでそんな調子。
「ねぇ紀章。今度うちにおいでよ!もっと美味しい手料理を食べさせてあげる。」
「別にいいょ!」
紀章、せっかくのオースの申し出にもあからさまに機嫌が悪い。
ここでオース、鼻をすりすりと擦り付けて甘えるのだが、その相手は僕。
こちらとしては嬉しくてたまらないのだが、紀章には堪えたようで。
「先輩、俺気分悪いんで、帰ってもらってもいいですか?」
や、これは悪い事をしてしまったかな。
まぁ、結構我の強い性格の子なのだろう。
僕達は揃って、気にしない事にした。

翌日、紀章と公園で落ち合う、僕とオース。
オース、もう僕の助手としては立派に一人前、いや、それ以上だ。
オースなしでは、仕事が回らなくなっている。

正直、紀章の教育係はもう要らないのではないかと思っている。
瞬間移動を人に一から教えられるほどのスキルは僕にはまだないし、そもそもそれが出来る程の素質は紀章にはない。
では一般の魔法はというと、これは大体一通り覚えているのだ。
まだ拙いが、実戦で使えないという訳でもない。
常識があるからヘマはしないだろうし、まずはスタート地点としてはこれで十分なのである。
本人にもその自覚はあったようで。
「昨日師匠とも話したんですけど、僕、一人で活動したいです。」
だから僕はこう答えた。
「大丈夫!紀章になら出来る!失敗も糧にして頑張れ!いざという時にはうちの師匠も付いているし、紫蘭姐さん、僕、オース、みんながいつでも応援してる。それは忘れるなょ。」
「はいっ!」
立派な一人前魔法使いが、また一人誕生した。

オースと、風に吹かれてお散歩。
「ねぇ泗水、あの男の子、ちょっと元気がないよ。話し掛けてあげたら?」
「よし、今日も仕事開始だ!オース、今日も協力、しっかり頼んだぞ。」
「ラジャー!」
そして今日も一日が始まる。

[おまけ]

夕方、近所のスーパーにて。
「泗水、僕のりんご忘れてるよ!ご褒美、ご褒美!」
店内で目立たないように透明化したオース、念で頻りに話し掛けてくる。
「今日はいいでしょ、荷物多いし。」
「駄目!荷物は僕も持つから!りーんーごー!」
うるさいので、今週はご褒美をあげない事にした。
だが、そんな浅はかな考えは当然、オースには筒抜けだった訳で。
「泗水の馬鹿、泗水の馬鹿ー!」
鼻パンチが喰らわされるのだった。
勢い余って、店内で吹っ飛んでずっこける僕。
仰向けで寝転がる僕の上で、オースなんと泣きながらタップダンスを始めるのだった。
「りんご〜りんご〜Ohりんご〜♪」
嗚咽を漏らしながらオース、念で直接歌声を、僕の脳内に響かせる。
これは堪らない。
オース、自分の体重が一体何十キロあると思っているのやら。
「痛!痛!」
ギブアップだ。
と言うよりも、もう死にそう。
一歩間違えたら、とっくに死んでいる話だ。
息も絶え絶え、ようやく起き上がると仕方なくりんごをカート下段の二つ目のかごいっぱいに放り込む。
「やったね!さすがは泗水!」
やったね!じゃねーよ、そう思ってオースの心の声を聞くと、驚くべき事に泣いて喜んでいるのだ。
大袈裟な、りんごくらいで。
やれやれ、である。
そんな僕の思いなどどこ吹く風。
お会計を済ませて外に出ると、実体化したオースは顔を赤らめながらこう言うのだった。
「泗水、愛してる……。」
愛されていましたとさ。
どんな愛だよ。
ちゃんちゃん。

-完-

苦心しました。
オースの心情をちょっとだけ突っ込んで描けたかなと。
オースありきなお話です。
オースと泗水が結び付いてしまうと当初の構想から外れますので、前作にてオースは恋愛は出来ない事にしてあります。
そこはちょっぴり可哀想だったかな、と。
ともあれオースはEssentials for Livingシリーズきってのマスコットキャラクターですので、そろそろ大事にしてあげないといけない訳です。
ちなみにオースは体力があるという設定ですので、まさに渾身の鼻パンチによって、当たりどころの悪かった泗水は吹っ飛んだという訳です。
まぁ、ちょっと飛んだ位のものです。
作中では大げさに描かれてはいますが。
とにもかくにも、楽しんで頂けましたら誠に幸いです。
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