草原のカピバラ

「むしゃむしゃ、むしゃむしゃ。」
風車の回る、水辺の草原。
陽射しがポカポカ、暖かい。
そこで並んで草を食むのは、二頭のカピバラ。
オス同士だが、大の仲良しだ。
「今日もあったかいね、プノ。」
「気持ちいいね、ルノ。」
このカピバラ、牧場を経営する酪農家に愛玩用として飼われているのだが、殆どの人間には聞こえない周波数の声でお喋りするのが、好きだったりする。
殆どの、というのには理由があって、突然変異的に聞こえるようになった人間というのが時々、存在するのだ。
この牧場の主、文彦もそうなのである。
文彦には高校生になる息子が一人居り、大雅という。
大雅にはカピバラの声は聞こえない。
親子だからといって、遺伝する訳でもないのだ。

大雅はゲイである。
父親である文彦はその事を知ってはいたが、当の大雅は隠し通せているつもりでいた。
今日は休日。
大雅の元にお隣の農家の一人息子の光治がやってきた。
大雅と光治は中学時代から交際を続けている。
その事には、文彦だけではなく周りの大人たちも皆気付いてはいたが、誰も何も言わないのだった。
皆一様に、今の内だけの事だからと、そう思っていたのである。

「やぁ光治君、いらっしゃい!自家製のチーズケーキがあるけど、食べていかないかい?」
「パパさん、こんにちは。ケーキは後でいいすよ。行こ行こ、大雅。」
去ってゆく二人の後ろ姿を、文彦は苦々しい表情で見つめるのだった。

この二人、会うと必ずカピバラ達の小屋に行く。
それに感付いたカピバラ達、いそいそと小屋へと戻るのだった。
いつもの事。
二人のSEXを見物するのだ。
「プノ、今日もするね、あの二人。」
「僕達に見られている事にも気付かないで、間抜けな声を上げるんだよね、ルノ。」
カピバラ達、文彦が飼っていると言っても、小屋のお掃除は大雅の担当だ。
それにかこつけて、小屋でSEXをこっそりと内緒でしているつもりなのである。
まぁ、実際にはカピバラを経由して、文彦が周囲の人間に漏らしていたのであるが。
大雅と光治は今年で高校三年生になる。
周りの大人達は皆、高校卒業と同時に二人が逢う事を禁じ、お見合いさせるつもりでいた。
しかし、である。
そんな思惑を、光治は嗅ぎ付けたのだった。
二人は以前より親に内緒で貯金をしていた。
上京費用に充てるつもりだったのだ。
本当は高校は卒業したかった。
大学はともかく。
しかし卒業式を迎えるまで出席してしまうと、その場で強制的に隔離される恐れがあると、光治は大雅に言うのだ。
今なら、周りの人間も油断しているだろう、光治はそう思った訳なのだ。
かくして、二人の上京が決まった訳である。

上京の朝。
いつもならば登校をする訳で、怪しまれないように制服での出発だ。
鞄に荷物も少々入るので、ありがたい。
本来ならば、これで上手く行く筈だった。
けれども、こんな時に限ってカピバラが二人に懐いて離れない。
この時二人は、生まれて初めて、カピバラの喋り声を聞いた。
「行かないで、行かないで。」
二頭が確かにそう言っているので、面食らう二人。
そこへ文彦がやって来た。
まずい。
大雅は光治の手を取って自転車置き場まで走った。
それに気付いた文彦は車の鍵を取りに戻ったが、時既に遅し。
見失ってしまった。
向かうのは最寄りの駅だろう、そう踏んで駅の近くに住む知り合いに電話をするのだが、あいにく留守なのだった。
万事休す。

車窓から景色を眺める二人。
もう戻る事はないかも知れない。
そう思うと、自然と涙が零れた。

東京。
いつかこの地を踏むと思っていた。
思いの外早く訪れたその機会は、二人に幸せの風を届けてくれるのだった。
だが、みんなで幸せになる方法など、所詮はないのだ。
二人が去った事は、文彦や、光治の両親にとっては、まさに凶事だった。
特に文彦にとって大雅は、妻を乳がんで失った後唯一の希望の光だったから、その悲しみは底知れぬものがあった。

大雅と光治は揃って、土木作業員となった。
仕事はきつかったが、体力自慢の二人だけにへばる事なくこなし、上司や同僚にも好評だった。
特に同僚からは、マスコットキャラクターのような扱いを受ける二人、上京して早くも小さな居場所を見つけていた。

この頃、光治の父・大佑は、文彦と密通していた。
前から文彦に目を付けていた大佑、息子達の逃亡劇で落ち込んでいるのに乗じて、犯したのである。
大佑はバイセクシャルだった。
妻の弘子とも良好な関係を築いており、離婚する気などさらさらない。
文彦との事は、言ってしまえば遊びである。
一方の文彦は、かなりヘテロセクシャル寄りの人間なので、大佑の事は何とも思っていなかったのであるが、相手は手練れのテクニシャン。
快楽に溺れたのだった。

毎日毎日、隙を見つけてはカピバラ小屋でSEXに耽る二人。
当然カピバラの声が聞こえる文彦には抵抗感があったのであるが、大佑には聞こえないので、そこはお構いなしである。
言うまでもない事だが、リードを取っているのは、大佑だったのだ。
繰り返される情事が当たり前の事となりつつあったある日、事の最中にカピバラ二頭が揃って小屋から出て行った。
これまでは無言で二人の情事を見物していたカピバラだっただけに、文彦には気掛かりだったのだが。
そんな事を言ってみた所で、大佑が取り合うとも思えず、黙っているより他なかったのだった。

カピバラは、弘子の元を訪れていた。
実はカピバラの声が聞こえる人間というのは、当のカピバラ自身が選定していたのである。
このカピバラのコンビ、特殊な能力を持っていたのだ。
弘子は、カピバラの声が聞こえる事に戸惑うが、その話の内容の重大さのせいで、そんな事は吹き飛んでしまった。

文彦の牧場のカピバラ小屋にやって来た弘子。
後からカピバラ二頭も付いて来る。
小屋の中では、二人が絶頂を迎えようとしていた。
まさにその瞬間に、弘子は小屋の中に踏み込んだのである。
「あなた、離婚しましょう。」
射精と同時に聞こえる弘子の声に、大佑は固まった。
「ま、待ってくれ、頼む。」
大佑はそういうのだが、既に絵面が有り得ない。
無駄な足掻きのようなものだと、文彦はどこか他人事のようにそう思っていたのだった。

そこから離婚までは、早かった。
弘子が頑なだった為に、交渉の余地がなかったのだ。
村では弘子は美人で有名であり、それを裏切った事は村中の噂になって広まった。
代償は大きかった、余りにも。
文彦共々、村八分となってしまったのである。
それでなくとも大雅と光治の事もあったのに、親がこれである。
許されなかったのだ。

文彦と大佑は、東京に移住した。
文彦にしてみれば大佑の事は特段好きという訳でもなかったのだが、他に頼るあてもないので、共に暮らす事にした。
これは大佑にとってみれば、非常に喜ばしい事だった。
これを機に文彦は、大佑の精神的支柱になってゆく。
東京では、二人揃って求職活動に明け暮れていた。
成果は芳しくはなかったが、独りではなかった事が幸いして、挫ける事はなかった。

ある日、都内の談話室で。
文彦と大佑は、大雅や光治と話をする機会を持っていた。
文彦は言う。
自分達の後を継がないか、と。
大雅も光治も、戸惑って声が出せなかった。
その時である。
大雅や光治に、野良となったカピバラ二頭の声が聞こえて来たのだ。
「戻って来て、戻って来て。お願い、お願い。」
必死に懇願する二頭の声に心を動かされた、二人。
村に戻る事を決めた。
決死の覚悟だった。

勤務先の上司には、早速報告をした。
残念がられたが、やむを得なかった。

人間を警戒していた鷲、これまでカピバラを狙う事はなかった。
だが人間なき今、まさに危険な状況にあった。
弘子の気持ちを慮って密通の事実を伝えたカピバラではあったが、そのせいで自分達が危機的状況に陥ったのである。
このカピバラ達、特殊な能力は持ってはいるものの、戦闘能力はないに等しかったのだ。

急がねばならなかった。
一刻も早く村に戻らなければ、カピバラ達の命が危ない。
村での暮らしは厳しいだろう。
人手が足りないし、ゲイに対しての偏見も大いにある。
唯一の救いは、二人の父の行いの悪さのせいで、自分達に同情的な見方が支配的な事だった。

夜、カピバラは一睡も出来ない。
子供の頃からここで飼われていたので、野生での暮らしには慣れていないのだ。
「プノ、小屋の中なら大丈夫だよね。」
「多分ね、ルノ。」
「でも、ドアがないよね。」
「怖くて眠れないね。明日辺り、大雅と光治が来てくれるといいんだけど。」

翌日。
カピバラの窮状を察して、大雅と光治が早速戻って来た。
東京にある荷物の引き取りは後日に回して、とりあえずやって来たのだ。
二人が牧場の敷地に入ろうとした時、お向かいの時江ばあちゃんが声を掛けてくれた。
「あらあら、大雅ちゃんに光治ちゃん。戻って来てくれて良かったわー!牛ちゃん達を置き去りにして文彦が居なくなったもんだから、時々様子は見てたんだけど。カピちゃんのお世話までは手が回らなくてねぇ。野良になっちゃったわよ!まぁ、男同士だからって、文彦や大佑みたいに奥さん騙してる訳でもないし、良いわよ。私が取り成してあげるから、とりあえず村八分にはならないわよ!大変だけど、頑張りなさい!」
思いがけない後ろ盾を、ここで得た二人。
時江ばあちゃんは村の中でも発言力が大きいので、心強いのだった。
牛達は大丈夫との事だったので、カピバラの様子を見に、二人は駆け出す。
それに気付いたプノとルノ、早速大雅達に擦り寄るのだった。
「良かった、良かったょー!戻って来てくれてありがとぅ、ありがとぅ!」
カピバラと大雅、涙涙の再会である。

精霊が呼び出された。
カピバラ達が、その能力をフルに発揮する時、それは稀に現れる。
体力を消耗するので、のんびり・だらりんをモットーとするナマケモノのカピバラ達は、この力を滅多に使わない。
呼び出されたのは、二人の精霊。
丸太と、丸男である。
その昔、十五歳の時に事故で亡くなった双子の少年の精霊なのだった。
彼らはかつてこの地に住んでいたが、流石に今となっては誰の記憶にもない。
好都合なのだ。
「お願い。大雅と光治を手伝ってやって。」
「分かった!」
「了解したょ!」
その瞬間に、丸太と丸男は実体化したのだった。

「こんにちは、大雅さん、光治さん。僕、丸太です。」
「こんにちはです!丸男っていいます。よろしくお願いします!」
実体化して現れた精霊、早速の挨拶。
開いた口が塞がらないのは、大雅と光治である。
突然目の前に現れたというだけでも、驚きなのだが。
しかも、である。
服くらい着ていてくれればいいのに、敷地内とはいえ、野外で全裸である。
どうしろというのか。
仕方ないので人目に付く前に、丸太と丸男の手を引いて、一同は慌てて大雅の家に駆け込むのだった。

丸太と丸男の昔話。
二人はいつでも、仲が良かった。
兄弟なので恋仲ではなかったが、いつも二人でお喋りし、じゃれあっていた。
両親の仲は不和であったが、それぞれが丸太と丸男を愛していた。
丸太と丸男には、恋人は居なかった。
ほのかな好意を寄せる相手は、それぞれに居たのだが、望み薄であるという事もあって、告白には至らなかった。
学校では揃って、いじめられていた。
それでも、だからこそ二人は結束して、前を向いた。
「兄ちゃん、またあざができちゃったね。母ちゃんに見つからないといいけど。」
「大丈夫、大丈夫。また適当にごまかせばいいって。」
そんな時に限って、身体中に出来たあざを母に見られてしまう二人。
お風呂場の脱衣所で。
開口一番、母は怒った。
「男の子でしょ!やられてばかりでどうするの!少しはやり返しなさい!」
しかし、そう言いながらも、母の真意は別の所にあった。
「まぁやられちゃったものは仕方ないわね。次からは頑張るのよ!それと、痩せ我慢はおやめ、ね?隠さないでいいのよ。」
母はその時、泣いてくれた。
双子も共に、泣いていた。

列車に乗って旅に出ていた。
いじめに耐え抜いて中学を卒業した双子への、父母からのお祝いだった。
座席で寛ぐ二人、仲睦まじい。
悲劇は、そこで起こった。
列車が、脱線事故を起こしたのである。
大勢、空の星になった。
その中には、丸太と丸男も含まれていた。
父も母も、変わり果てた我が子を前にして、狂ったように泣いていた。
程なくして、双子の両親は離婚した。
双子が居なくなった事もあり、もはや一緒に居る理由などなかったのだ。

それ以来、長い長い時を意識もないままに精霊として過ごしていた二人。
カピバラ達によって、晴れて人間に戻る事が出来たのだ。
この二人に現代の常識は通用しない。
だが、ここは長閑な田舎。
結局の所、それでも生きてはゆけるのだから、問題はない。
ましてや、酪農や農家の仕事は、ICTによって変わりつつある面もなくはなかったが、大筋では太古の昔から変わらないのだった。
やってやれない事はないのだ。
掃除、餌やり、搾乳。
酪農の基本を、双子は大雅より一から学ぶ。
思えば大雅も、幼い頃からこうして父を通じて酪農のイロハを教わって来たのだった。
双子は、大雅が忙しければそちらへゆき、光治が忙しければそちらへ向かう。
そうしている間に二人は、一人前に育ってゆくのだった。

カピバラは前よりも甘えん坊になっていた。
野良でいる事の恐怖が染み付いて、離れない為である。
餌の時間。
カピバラ達の腹時計は正確だ。
水浴びをやめると大雅の元へと向かい、きゅるるると鳴きながら擦り寄る。
「餌ちょうだい、餌ちょうだい。お願い、お願い。」
「ちょっと待ってな。今持ってくるね。」
カピバラ達の背中を撫でる大雅。
カピバラ達、これには堪らず、気持ち良さそうに横になって寝そべるのだった。
二頭共、背中を撫でられると、弱いのだ。
このカピバラ達、喋る代わりに大飯食らいである。
普通のカピバラの三倍は食べる。
餌代が馬鹿にならないのだ。
まぁそうは言っても、大切な家族である。
見捨てる事など、有り得ないのだ。
このカピバラ達、外敵には弱いが、襲われさえしなければ、寿命もだいぶ長い。
まだまだこれから、元気いっぱいである。

困った事が起きた。
丸太と丸男がそれぞれ、恋に堕ちたのである。
その相手がなんと大雅と光治であるのだから、もうどうにもならない。
大雅と光治が付き合っている事はカピバラ達より聞いて知っていたから、告白といった最悪の事態は辛うじて免れた。
だが、この二人、分かりやすいのだ。
そういえば村には他に太ったゲイの子は居なそうであるし、ここは我慢してもらう他ない。
苦々しい思いを抱えながら双子に接しなければならない、大雅と光治なのだった。

大雅と光治、それに丸太と丸男の四人は、村の宴会に呼ばれた。
時江ばあちゃんを始めとする村の長老達もこぞって参加する宴会。
まだ酒が飲めないのが辛い所ではあったが、これを機に双方のわだかまりも解け、和やかなムードに包まれた。
四人揃って再び、これで正式に村の一員となったのである。

「二人共、双子の二人に好かれとるようだけども、手を出したらあかんよ。もしもの時には村八分だからね、しっかりと胸に留めとき。」
時江ばあちゃんの言葉。
重みがある。
「大丈夫だよ、大丈夫。」
今の二人には、ここにしか居場所はない。
時江ばあちゃんの言葉を、二人は末長く守って生きてゆく事だろう。
カピバラ達も珍しく宴会場に呼ばれていた。
むっしゃむっしゃと餌を頬張るカピバラに、時江ばあちゃんが一言。
「四人の事、しっかり頼んだよ。」
野良になった際にカピバラ、時江ばあちゃんに自分たちの話を聞く事の出来る能力を、授けていたのだ。
カピバラ、いざという時には時江ばあちゃんに助けてもらおうという魂胆だったのである。

翌日。
空は抜けるように青い。
爽やかな空気に包まれて、カピバラ達もご機嫌だ。
四人は毎日、仕事に精を出している。
休日など、ない。
それでも、忙しいけれども、四人はとても幸せだった。
カピバラ達は、それをのんきに見守る。
東京では、文彦と大佑がささやかな幸せを手にしていた。
仕事も決まって、幸先がいい。
ここに至るまでの経緯は、誠に自分勝手な話ではあったのだが、これからは悔い改める事だろう。
弘子は、離婚後すぐに向かった先の東京で、新たな男性と結ばれていた。
皆、幸せになったのである。
こうしてそれぞれがそれぞれの道を、歩み出していた。
その立役者であるカピバラ達は今日ものんびり、お昼寝なのだった。
新しい日々が、始まるーー。

お・し・ま・い

Essentials for Living 3は、忘れ去られた頃にやって来る事でしょう。
というわけで、今回は二作目。
主役はカピバラです。
可愛いですね。
飼いたい。
まぁ、難しいらしいのですが。
のんびりほっこりとした文章になるよう、努めました。
皆さまの短い余暇のお供となれましたなら、この上ない幸せです。
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